多言語社会北部カメルーンの言語事情

                                      江口一久

1 カメルーンにはもうすこしで三百にいたる数の言語がある。コイ・サン語系統のことば以外、アフリカにあるすべての語族の言語がそろっている。アフリカでもっともひろくつかわれているバントゥー語の故郷はカメルーンで、北部カメルーンにも、いまだにバントゥー語をはなす人たちがいる。

 
2 北部カメルーンには、もともと、アフリカ・アジア語族チャド語群の諸言語、ニジェール・コルドファン語族アダマワ東部諸語、ナイル・サハラ語族の諸言語があった。それにここ二百年くらいはなされているもっとも強大なニジェール・コルドファン語族大西洋諸語のフルフルデ語がやってきた。

1982年以降、南部カメルーンの人たちによる北部カメルーンへの往来がはげしくなり、バントゥー諸語やセミ・バントゥー諸語も、流入してきた。ナイジェリアやチャドの隣国からやってくる人たちもいて、言語状況は複雑といえる。これに、公用語であるフランス語と英語、宗教語としての文語のアラビア語がこれにくわえられる。

 
3 北部カメルーンの地域共通語としては、北には、ショア・アラビア語、その南にはフルフルデ語がある。その使用範囲からみると、フルフルデ語ははるかにひろい。もともとあった言語の複雑さと、征服者としての政治的力のおかげで、フルベ族の言語であるフルフルデ語は優勢で、少数民族出身者はフルフルデ語をまなびはなす。民族語としての正調フルフルデ語は「きれいなフルフルデ語(Fulfulde laamnde)」とよばれる。地域共通語としてはなされるフルフルデ語は、「無知な人のフルフルデ語(Fulfulde bilkiire)」とよばれる。この「無知な人のフルフルデ語」をR. M. East(1934) Lingua francaとよび、F. Lacroix Koine とよんだ。

 
4 フルフルデ語の特徴は語頭子音交替と接尾辞の変化でとらえることができる。その語形変化のルールは外部者には複雑極まりない。地域共通語はそのルールを単純化したものである。一例をあげておくと、

 正調フルフルデ語  地域共通語

 o wari              o wari           「あの人がきた」

 ‘be ngari            ‘be wari         「あの人たちがやってきた」

 saare               saare           「屋敷」

 calaaje       なし      「屋敷(複数)

 nagge woote         nagge gootel     「ウシ一頭」

 ‘binngel gootel       ‘binngel gootel   「子ども一人」

5 フルフルデ語には、おおきくわけると、マルア周辺ではなされる東方方言とガルア・ガウンデレ地方ではなされる西方方言がある。一般的にいうと、西方方言は東方方言にくらべると、語形変化のルールがゆるい。地域共通語のルールのゆるさも、西方方言のルールのゆるさににている。従来、「無知な人のフルフルデ語」はフルベ族以外の人たちによってつかわれてきたが、今日、おおくのフルベ族の若者によってもつかわれている。

 
6 「きれいなフルフルデ語」がつかわれている伝統的なフルベ族の口承文芸もあるが、「無知な人のフルフルデ語」でつたえられている昔話、世間話などもある。

 
7 地域共通語としてのフルフルデ語には、おおくのフランス語の単語がまじっている。しばしば、フルフルデ語をはなしているのに、自然にフランス語になってしまっている。フランス語をはなしているとおもっていると、フルフルデ語になっている。

 
8 子どもたちは学校で公用語としてのフランス語や英語の読み書きをまなぶ。家にかえると、コーラン学校にかよってアラビア語の読みをならう。近年、アラブ諸国の援助でできたアラビア語学校があり、そこで、アラビア語の読み書きとフランス語をまなぶ人がでてきた。アラビア語は宗教語から世俗的な言語にもなってきたといえる。

 
9 伝統的社会には、男性の結社だけで使用される「秘密語」があった。このような言語をしっている人がいても、もはや、いまからまなぶ人はいない。というのも、結社でおこなわれる儀礼が消滅したためだ。

 
10 フルベ族にくらべると少数民族のなかにキリスト教がはいっていきつつある。そこで、聖書の翻訳がおこなわれることになり、かれらは、文字を習得することになる。現在は聖書をもつ民族はすくないので、少数民族のキリスト教徒はフルフルデ語の聖書を使用している。でも、聖書のフルフルデ語はむつかしすぎるので、完全に内容を把握しているとはおもえない。

 
11 フランス語や英語のあいだに、民族語による放送がおこなわれている。いってみれば、ニュース程度のものである。

 (2005326日 報告者 国立民族学博物館・江口一久)