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インド西部地震と〈復興資源〉

研究の概要

 インド西部地震は、カッチ県中央部を震源地として、2001年1月26日、午前8時46分に発生した。その日は、インド共和国記念日であったため、学校やオフィスは休みで、自宅にいた人が多かったようだ。ブジ市に住んでいた私の親しい一家は、のんびりとした祭日の朝を過ごしていた時に地震に襲われた。轟音とともに家が揺れはじめ、一家は、驚いて家から路地に飛び出した。自分たちが飛び出した後、自宅の門扉の一部が崩れ、また近所の家々がゆっくりと崩れ落ちて、あたり一面に砂埃が舞い上がって何も見えなくなったという。
 およそ1万2千人とも言われる死者の多くは、倒壊した建造物の下敷きになって亡くなった。カッチ県は地震の多発地帯であるが、耐震性のある建築物は少なく、自宅住居が凶器に転じた例が多かった。震災からの復興は、まず家屋の再建が重要視され、再建や修復の費用が政府によって住民に提供された。また、どこに家屋を再建するかが被災者にとって問題になった。ブジ市内では都市計画のため、住民を郊外に建造した移住サイト(relocation site)への移住を促進した。村落部では、NGOが援助をして村の移転をすすめた。復興援助は様々な問題を引き起こしたが、一方で人々は、政府やNGOが用意した援助金をしっかりと活用し、被災前よりもよい条件の住宅に住んだり、子供の教育にとって環境の良い場所に移ったりする人も少なからず存在した。被災地の人々は、自分たちにどのような支援や援助が活用可能か検討し、できるだけ多くのものを活用しようと試みる。本研究では、復興のために活用できる資源のことを、〈復興資源〉と名付けることにする。
 災害の復旧や復興に携わる実践者の間では、現地の社会状況に配慮した復興支援が強く求められており、現地と復興援助の架け橋として、人類学的な知見が求められている。被災地の状況は、村や町、個人ごとに異なり、現地の状況を総括し、それに対応できるような実践的なマニュアルを作成することは、災害の前後に関わらず困難である。本研究では、復興や復興支援に際して、何が求められ、どのような問題が生じるのかを、具体的な災害復興の過程を民族誌的に記述することで明らかにし、そのことによって、被災地支援の実践に携わる人々が、他の被災地で、復興や復興支援に際して何が起こりうるのかを知るための、開かれた情報源として提示することである。
 本稿で取り上げるのは、グジャラート州カッチ県D村の染色業者である。筆者は、震災前にあたる1998年からカッチ地方の染色業の研究を行っており、震災後には、日本人が寄せた募金を現地のNGOを通して被災地に送る活動を経て、2003年10月より復興調査を始め、本稿を執筆している2010年まで毎年、現地に1~2ヶ月間滞在して、復興の過程を調査している。
  • D村の染色用水に、...

被災地の復興過程

 D村は世帯数375戸(人口約2000人)の村であり、そのうち染色業に従事するのは、世帯数115戸にのぼるムスリムのカトリーというコミュニティであった。カトリーは16世紀頃から世襲的に、カッチ北部に居住する牧畜民や農民のための衣服や寝具の染色をおこなってきた。1970年代以降、手仕事による染色業は州政府やNGOによる手工芸開発の対象となり、都市住民向けの商品が製作されるようになった。震災前からの手工芸開発を通した政府の所轄機関やNGOとのつながりが、震災後には〈復興資源〉として活用されることになった。震災によって、カトリーは家屋と工房に大きな被害を受け、州政府からの家屋の再建補助金と、中央政府からの工房の再建補助金を活用できることになった。地震前から地下水位の低下が問題になっていたため、染色業の将来的な発展を見通して、村の移転を行うことにした。そして組合を結成し、組合が援助金の申請や活用、移転に関わる手続きを進めることにした。組合の試みとして興味深いのは、水資源を組合員の共有にしたことである。D村では、地下水位の低下にともない1990年代初頭より、染色用水の私有化と有料化が進んでいた。移築先の村において、組合員全員が利用できる井戸、給水、排水設備を整えつつあるのは、組合代表となったI氏による、経済的キャパシティの有無によって復興程度に差がつくべきではないという信念に基づいた尽力が大きかった。
 しかし、新村への移住は遅々としている。排水設備の整備に時間がかかっていることが原因であるが、復興資源を生み出す社会関係が多様で互いに入り組んでいることが、組合活動と新村への移住の難しさもうんでいることも確かである。
  • 移住先の村に建造された組合共有のタンク。

まとめと今後の課題

 インド西部地震の被災地での調査から、支援や援助は、特定の社会関係やネットワークを通じて獲得できるものであり、災害前に人々が持っている社会関係に大きく依拠していることが明らかになった。復興援助に対するアクセス可能性は、社会関係に依拠することから、カッチの事例では、〈復興資源〉は主に社会関係を指す。利用できる社会関係やネットワークが多様であればあるほど、また、その社会関係やネットワークが政治経済的に強力なものであるほど、被災者の持つ〈復興資源〉は豊かであると言うことができる。援助する側は、被災地において被災者がどのような〈復興資源〉を持っているのか、自分たちの提供する援助が、被災者の持っている復興資源のうち、どれを通って活用されるのかに注意を払うことで、被災地の社会的状況に応じた援助を提供することができるのではないだろうか。
 D村の復興はまだ終わっていない。いずれは新村に全員が移住することになるが、それにはまだ時間がかかるだろう。村の移築を担ったI氏らの世代はもうすぐ引退し、世代交代の時期がきている。若い世代が、組合の作った村の理念をどのように引き継ぎ、染色の産地としてどのように村を発展させるのか、今後も注目したい。
  • 移住先の土地をI氏と見る。