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グジャラート大震災とNGO

震災の特徴

 グジャラート大震災は2001年1月26日現地時間の午前8時46分に、インド西部グジャラート州カッチ地方、ブジ市北方約20kmの地点を震源地として起こり、同州各地に大きな被害をもたらした。地震の規模は6.9リヒター・スケールとされる。この日は現代インド国家の憲法制定を記念する共和国記念日の休日で、都市部の多くの住民は自宅で寛いでいたところを地震に襲われた。多くの学校では記念日の式典行事が行われており、学校の建物が倒壊して死傷した児童・生徒も多い。
 カッチ地方では政治・経済の中心都市ブジの旧市街で約9割の建物が倒壊ないしは部分的な損壊という被害を蒙ったほか、周辺の中小都市に加え、多数の村落が被害を受けた。ブジ市からは数百キロ離れたグジャラート州最大の都市アーメダバード市でも、多くの新造高層ビルが倒壊したり、部分的な損壊を受けたりするなどの被害が発生している。またカッチ地方の隣接県でも多数の被災者を出し、グジャラート州全体では全てで25ある県のうち、実に21県で被害が報告されている。
 震災の被害実態に関しては、報告ごとにばらつきがあるが、震災全体の死者数としては大よそ1万5千人以上であったと考えるのが妥当なところだろう。怪我をしたり、家屋を失ったり、あるいは一時的に家屋に入れなくなったりした人々の数はこれよりもはるかに多い。BAPSでは、およそ2000万人が何らかの形で被害を受けたと推測している。
 長期的に見ればこの地域はたびたび大地震に見舞われている。しかし、耐震性のある建造物は少なく、地震の最初の一撃で多数の家屋やビルが倒壊した。地震に伴う火災の被害は大規模なものは報告されておらず、死者の大多数は倒壊家屋の下敷きになって生じたものと思われる。
 この震災は発生直後から世界各地で大きく報道され、様々な国際機関、日本をはじめアジア諸国や欧米諸国などの国際援助機関および多様なNGOが震災発生の直後から被災地に入り、救援・復旧活動にあたった。もちろん、インド国内の公的機関やNGOも迅速な反応をみせ、それぞれの権限、目的、特色に基づいて被災者の救援や家屋・ライフラインの仮設や復旧に取り組んだ。最も多いときには内外のNGOだけでも250を越える団体が被災地に入ったとされる。

問題設定

 本論文は、インド西部震災からの復旧・復興プロセスにおけるNGO諸団体の活動を記述し、大災害からの復興にNGOが持続的に関わる条件や課題について考察を加えることを目的とするものである。
 本科研による調査で、筆者は2004年にまずアーメダバード市、2005年にはカッチ地方を訪れた。これらの時点では復旧もほぼ完了し、関心は今後も起こりうる災害にも強い社会的インフラの整備や被災地の持続的発展、すなわち復興へと向かっていた。そこで、震災から時間が経過してもなお持続的に活動を続けるNGOに焦点を絞り、それらのNGOが震災発生以降どのような活動を展開し、調査時点ではどのようなビジョンを持って被災地と関わっているのかを、被災地での訪問取材やNGO関係者への聞き取り調査によって探ることにした。その中でも特に規模が大きく救援段階から被災地と緊密に関わりを持って活動している三つの団体、すなわちAbhiyan、BAPS、およびCEEについて集中的な聞き取りとこれらの団体が復興にまで関わっている被災地での訪問調査を行った。また、2007年にもカッチ地方で補充調査を行い、NGOの援助を受けた人々や直接NGOの活動の対象にはならなかった人々からNGOの活動に対する評価を聞き取った。本論文ではケーススタディとして上記の三つの団体の活動内容を取り上げ、調査に即してそれぞれの特徴と共通点の把握につとめた。災害からの救援・復旧・復興には世界のどこでもNGOの活動は今や不可欠となっている。この事例研究が、災害復興とNGO活動の関わりという大きな問題を考えるための一つの手がかりとなるだろう。
  • BAPSが請け負った...

 なお、本論文では、個人レベルから社会全体までが震災から立ち直り、持続的な発展にまで至ろうとするプロセスを、救援(rescue and relief)、復旧(reconstruction and rehabilitation)、そして復興(development)の三つの段階に分節して考える。これは今回調査したNGOの諸団体の考えに倣ったもので、分節の方法もその時期的推移に関しても、これらの団体は大よそ似通った認識を持っている。

三つのNGO

 Abhiyanは2005年の調査時点では、28のNGO団体が参加するネットワークであると同時に、Abhiyanとしても独自の活動を行うというネットワーク型の団体である。独自の活動で顕著なものは、ネットワーキング活動、情報データバンキングである。Abhiyanは震災後の支援のためにカッチ地方に入ってくるNGOや機関とコンタクトを取る努力をし、これらのNGOや機関に情報を提供すると同時に、NGOや機関の連絡先、目的と得意分野、活動内容などの情報収集をし、それらのディレクトリーを作成していった。
 また、Abhiyan傘下の団体の活動も、地域の実情に即した活動で評価を得ている。例えば、SETUによる伝統的な地方自治制度の支援、Hunar Shaalaによる地域住民になじみやすい家作りのための技術開発と普及、Khamirによる伝統工芸の支援などである。
 Abhiyanは自らが前面に立つというよりは、支援団体や地域によりそい、それらの主体性を引き出すことや、主体間のつなぎ役に徹するという姿勢が鮮明である。
  • Hunar Shaalaの事務所

 BAPSは、Swaminarayan(スワミナラーヤン)教団の傘下にあるNGO団体である。BAPSのメンバーは基本的に教団信者であり、組織階梯を通じてメンバーのリクルートや動員がなされている。
 BAPSは震災後、組織力を生かして迅速に、手広く救援活動を開始した。また、復旧・復興支援における、政府から請け負った被災者の再定住支援活動にも重点がおかれていた。これらBAPSの支援は、地元住民の慣習や感情に配慮が行き届いており好評であった。
 BAPSの方針として、情報不足、支援者不足を理由に、スワミナラーヤンの支部がないところには救援に行かない。宗教ナショナリスト団体のように支援対象を明確に選別していたわけではないが、活動方針によって支援対象が限定的になっているといえる。
 また、BAPSが再定住を支援した地区は、教団にゆかりの名を必ずつけ大きなゲートを建造するなど、そこがBAPS(ひいては教団)の支援によるものであることを内外に示している。住民の間に宗教活動の影響も徐々に現れる傾向がある。
  • 再定住村落を造ったとき...

  • BAPSが請け負った...

 CEEはCenter for Environmental Educationの略称である。Nehru Foundation for Developmentという政府登録済みの福祉事業団の一翼を担っている。多様な自然環境をもつインドにおいてそれぞれの地域の特性に根ざしながら、環境教育、環境に配慮した開発の実践などに取り組む団体である。
 震災が起こったとき、CEE支部のうちの一つ、アーメダーバード・センターでは特にカッチ湿地の縁辺部にある村落での環境に配慮した持続的開発プロジェクトへの取り組みを始めようとしていた。そのため、CEEはカッチ地方と比べて支援が手薄だった辺縁部に注目し、支援のギャップを補う役割の一翼を担うことになった。
 この団体の活動の特色は、復旧・復興段階に見られる。彼らは支援対象の地域や村に関する社会調査を徹底して行い、村の抱える問題点や需要を明確化し、それに添った形での支援を行うという方針を持つ。住民の意向を反映した再定住地でのカースト住み分け、家庭の要望を取り入れた家屋再建などに、この方針が反映されている。
 また、復旧がほぼ終わる頃から、CEEは本来これらの地域で取り組もうとしていた持続可能な開発に向けた働きかけを強化している。筆者が調査に訪れた村々では1)水資源の効率的な利用、2)住民の民主的な政治参加を促すこと、3)災害に対してより脆弱な人々のエンパワーメントに重点が置かれていた。
  • CEEの支援もあって...

  • 貯水タンク

結論

 本論文では、カッチとその周辺地域で震災後の支援活動を長期的に行ってきた三つの団体の活動をやや詳しく述べてきた。地域密着型NGOネットワーク、宗教組織、全インド型組織の一部の対応、とそれぞれの組織の特徴はあるが、いずれも復興にあたっては独自の社会調査・住民意識調査を十分に行い、住民のニーズにできるだけ応えようという姿勢が見られる。住民の感情やニーズを十分くみ取った形で行われたからこそ、支援は住民に広く受け入れられたと考えられる。
 また、この震災では援助物資や支援のための様々な団体が短期間にカッチに集中したが、それらが比較的効率よくまた素早く配分された要因には、地域密着型のNGOネットワークがその受け皿となり、情報のネットワークを早い段階で作り上げたことが指摘できよう。自然災害の発生は不可避であるが、その後の支援を効率よく、かつ支援を受ける人々が受け入れやすい形で実行するための鍵はこのあたりにありそうである。
 今回取り上げた組織は物理的な復旧が終わった後でも対象地域にとどまり、それぞれの組織の目的に沿う形での復興、すなわち「持続可能な開発」や「宗教的倫理の浸透」を実現しようとしている。どの団体も、復興は自らの団体の意思の押しつけではなく住民の本来の意思を助けているだけであるという立場を表明している。しかし、「住民の意思」を生かした結果、元の状態が再現されるのではなく、ある特定の方向への社会変化が生じており、それを結果的には外部のエージェントが支援するという状況が生まれている。またそれが「総意」であると言いながらも、このような方向への居住地の変化を好まない住民も当然生じてしまう。この場合それを望まなかった住民の「意思」はどのように支援されるべきかという点には議論の余地があるだろう。
 外部のエージェントと住民の関わりのあり方、住民の意思と「望ましい変化」の方向性など、ここで指摘した課題は開発人類学の分野で長年にわたって議論されてきた問題と重なる。ここで述べた論点は、まだ歴史が浅い「災害人類学」の重要な問題になりうること、それを考えるにあたっては開発人類学の議論を十分参考にすべきであることを指摘しておきたい。