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インド洋津波後の被災観光地における復興過程とその課題

タイ南部でのインタビュー調査をもとに

はじめに

 2004年12月26日スマトラ島沖で発生したインド洋津波のタイにおける被害は、死者・行方不明者合わせて約9,000人、被害総額85,747百万バーツと推定され、この国にとっては前代未聞であった。とりわけ特徴的だったのは、被害の集中したプーケット県、パンガー県などタイ南部が世界有数の観光地であり、被災者にドイツ人やスウェーデン人をはじめとする外国人観光客が多数含まれていた点である。また、ホテルやレジャー施設の物的被害額だけでなく、被災後長期にわたる経営不振や閉鎖に伴う損失が嵩み、タイ南部の観光産業の被害総額は71,972百万バーツ(総被害額の約84%、タイ南部6県GPP(Gross Provincial Products:県内総生産)と同額)にも上った。今回の津波災害により、外貨獲得に向けた特効策として評価されいる観光産業における災害リスクに対する脆弱性が、改めて露呈する結果となった。今後、より具体かつ実効性のあるアクションプランを策定していくためには、観光産業の被災シナリオをいかに詳細に想定できるかが鍵となろう。世界有数の観光地を襲った今般の津波は、世界各地の観光地の防災と復興の方策を考える上で多くの材料を提供するものであり、それらの材料は整理・記録されてはじめて次の災害時に活用可能な教訓となり得る。
 そこで本研究では、タイ南部の観光産業の約2年にわたる復興過程を分析するとともに、その動向を裏付ける宿泊施設や政府観光庁などステークホルダーのとった災害対応を現地でのインタビュー調査を基に明らかにする。また、これら災害対応や復興過程から浮き彫りになった課題とその対策を提示することを目的としており、より実効性の高い津波防災アクションプランの策定に向けて、着目すべき視点を提案するものである。
  • 津波被災地域

表1:県別・国籍別にみた死者・負傷者・行方不明者
死者 負傷者 行方不明者
タイ 外国 不明 タイ 外国 タイ 外国
プーケット 398 474 17 591 520 250 305
パンガー 2,654 2,229 997 4,344 1,253 1,354 363
クラビ 672 435 161 808 568 323 240
ラノン 162 6 4 215 31 9 0
タラン 4 2 0 92 20 1 0
サトゥン 600 150 00
合計 3,8963,1461,179 6,0652,392 1,937908
出典:Department of Disaster Prevention and Mitigation (DDPM, 2005)
表2:県別・被災度別にみた建物被害
全壊棟数 半壊棟数 合計
プーケット 420 511 931
パンガー 2,625 2,052 4,677
クラビ 357 173 530
ラノン 179 114 293
タラン 33 133 166
サトゥン 2 47 49
合計 3,616 3,030 6,646
出典:DDPM: Damage estimated made by consultant (2005)
表3:部門別にみた経済被害(百万タイ・バーツ)
直接被害 間接被害 合計
社会部門 1,206 115 1,321
住宅 866 866
教育施設 340 340
保健施設 115 115
生産部門 17,544 64,964 82,508
農業 279 97 376
畜産 18 18
漁業 2,599 3,882 6,481
産業 2,182 2,182
商業 1,479 1,479
観光業 14,648 57,324 71,972
社会基盤部門 1,061 857 1,918
給水施設 24 129 153
電力供給施設 172 385 557
交通・通信施設 289 343 632
その他 576 576
合計 19,811 65,936 85,747
出典:Asian Disaster Preparedness Center Report (ADPC, 2005)
表4:県別にみた経済被害(百万タイ・バーツ)
GPP(2004) 直接被害額 間接被害額 合計 総被害額/GPP
プーケット 51,984 5,405 41,423 46,828 90%
パンガー 20,281 8,523 5,249 13,772 68%
クラビ 28,588 4,414 15,238 19,652 69%
ラノン 11,570 483 1,393 1,876 16%
タラン 40,174 315 2,097 2,412 6%
サトゥン 19,794 672 546 1,218 6%
合計 172,391 19,812 65,946 85,758 50%
GPP: Gross Provincial Product, 出典: ADPC Report (2005)

タイにおける観光産業の歴史

 タイは1970年代後半以降、観光立国を目指して国家レベルの観光開発プランを実施してきた。その結果、1982年には米の輸出高を抜いて観光産業は外貨獲得源の第1位となり、ついにはアジア最大の観光立国となった。急速な観光成長は、強力な国際需要とあいまって高い経済的利益を生み出し、国民経済を刺激し、雇用を創出し、投資を加速し、そして生活水準を引き上げることとなった。
 しかし、1990年代前後にはタイの観光産業は新たな課題に直面する。1998年タイ南部9県を襲った土砂災害は700人を超える多くの死傷者を出した。この災害は、観光政策の見直しと環境政策を前進させるマイルストーンとなり、その後に環境破壊問題と政治的不安定をもたらすこととなった。これを契機に環境政策が意識されるようになったが、1997年バーツ危機を迎え、環境よりも経済発展が重要という認識から、環境政策の機運は縮小することとなった。今般のインド洋津波は、このような中でタイが遭遇したものと言える。

被災状況調査の結果

 タイ南部における津波被災地では、不法労働者のミャンマー人などの身元不明者も含めて9,000人を超える死者・行方不明者が発生した。また、最も被害が甚大であったのはパンガー県であった。パンガー県は欧州人を対象として新たに開発を進めた人気観光地であるため、欧州を中心とする外国人観光客の被害がとりわけ大きくなった。また、被害総額のうち、観光業における被害額は84%を占めた。内訳をみると、間接被害額が直接被害額の約4倍にものぼり、観光客の激減に伴う長期にわたる経済被害が発生していたことが推察できる。間接被害額はプーケット県で最も大きく、空港利用者数、ホテルの稼働率が大きく落ち込み、失業の問題も長期化している。
 プーケット国際空港を観光目的で利用した日本、オーストラリア、スウェーデン、ドイツからの渡航者数データを用いて、津波の発生を挟む6年間にわたる各国観光客の動向を追跡した。日本人観光客の戻りが悪いことがわかる。
 日本からの観光客数は、津波発生後に過去最低の883人/月まで落ち込んだ。その後約1年をかけて徐々に回復したが、それでもピーク時に津波発生前の一年の平均値に達するのがやっとの状況である。これは、地域経済が長期間落ち込む二次被害(風評被害)に発展した様子と捉えられる。
 オーストラリアからの観光客数は、津波発生直後の落ち込みを経験した後は持続的に増加傾向を示し、2005年10月には1万人を超すなど最近になっても増加基調が続いている。また、例年において明確な季節変動がみられるスウェーデンとドイツからの観光客数は、津波発生後もその傾向がほぼ変わらなかった。いずれの国の観光客数も津波発生直後には落ち込むが、その後急速に増加傾向に転じ、翌年2006年1月にはほぼ前年並みの観光客数を示している。さらに、スウェーデンでは、2006年末にはかつてない増加基調を示した。
 日本人観光客が津波発生を機に戻ってこないことは特徴的であり、現地でもかなり強い実感として捉えられている。オーストラリアとスウェーデンにおいては、被災地への旅行や滞在が復興の一助になると考えている人が約80%に上る一方、日本においては、同じ質問に同意している人は約半数にとどまっており、被災地への渡航を控えたいという意見が半数以上を占めている。つまり、日本と他の3カ国の間では“被災地”に対する捉え方が異なっているといえる。
  • 観光客数の推移

  • 津波後の意識変化

 被災地における今後の課題の提案に向けて、プーケット県およびパンガー県において観光産業従事者を対象としたインタビュー調査を行った。今回の調査では、通常の報告書には出てきにくいような災害対応の実際や現場での混乱を引き出すために、「当時現場で災害対応に直接携わった人」に依頼することに留意した。発災直後の失見当の状況、宿泊客の避難誘導と避難場所の確保、各国への帰国手配、施設の清掃と後片付け、復旧・リノベーション、営業の再開、風評被害対応にかかわることが、全体を通して共通して話された内容であった。本論文ではそれらのインタビューから得られた当時の体験を整理している。
  • インタビュー調査対象地

考察と課題

 各国からの観光客動向と観光従事者に対するインタビューから、今後の観光産業における防災対策に取り入れるべき視点や課題が明らかになった。まず、発災直後の混乱した状況からは、ハード・ソフト両面に渡る避難体制や、観光業者間の連携を強化していく必要がある。段階的な再建に対応する自由度を持たせた資金融資制度や、本国とのいずれからも補償を受けられない外国人労働者への補償制度にも検討の余地があるだろう。また、災害後に日本人観光客の足が遠のいた経験からは、可能な限り多様なマーケットを引き込んだリスク分散型マーケティングが重要となる。風評被害のような「自然災害=生活基盤の崩壊」のパターンにはまらない被害に関しての支援のあり方も今後検討していくべきである。
 今回のインタビュー調査内容に、客観的なデータによる動向分析を重ねながら、検証を続ける必要がある。今後は、これらの分析を継続し、災害時の観光産業復興のフレームワークの構築と具体的な防災対策への提案を行っていくことが課題である。