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タイの海民村落における環境の変化

脆弱性克服に向けた人類学的研究
―中間報告書(2008年度~2009年度)―

鈴木佑記 (上智大学)

被災の概要と特徴

 2004年12月26日に発生したインド洋地震津波による死者・行方不明者は25万人を超えるといわれる。津波の影響は広範囲に及び、深い爪痕を各地に残した。タイにおける死者・行方不明者数は、被害の大きかったインドネシアに比べれば少ないものの、それでも8千人を超える。
 津波が来襲した地域はアンダマン海に面するラノーン県、パンガー県、プーケット県、クラビ県、トラン県、サトゥーン県の計6県である。なかでもパンガー県における被害は甚大であった。例えば産業面では、6県が被った約150億バーツ(≒450億円)の被害規模の内、およそ半分がパンガー県における被害であり、商業施設(宿泊施設、食堂、商店、屋台)に関しても、約1265万バーツ(≒3795万円)の被害総額の過半をパンガー県が占めている。
 被災の規模としては、パンガー県の次にプーケット県、クラビ県と続く。これら3県に共通するのは、それぞれ有名な観光地を有しているという点である。風光明媚なパンガー湾でカヤックを漕いで風景を満喫する者、プーケット島の賑やかなビーチで各種マリン・アクティビティーを楽しむ者もいれば、映画『ビーチ』の舞台となったクラビ県のピピ島でゆったり寛ぐ者もいる。今般の津波はこれらの土地に来ていた観光客を襲い、タイの観光産業に大きな打撃を与えた。その多くが余暇を楽しむために訪れていた外国人であった。タイにおける津波被災の特徴は、多数の外国人旅行者を巻き込んだ点にある。
  • 陸に打ち上げられた漁船

偏向した復興支援と被災情報

 タイ政府は、重要な外貨獲得源である観光産業に対する復興支援を急ぐことになる。とりわけ、外国人観光客が頻繁に訪れていた地域に対して優先的かつ重点的に支援が行われた。その一方で、沿岸域に広範囲に分布するタイ人漁村に対する支援は二の次とされたか、あるいは支援が実施されても不十分であった。そのような状況で、タイ人が暮らす漁村で主に活躍したのが国際NGOであった。各NGO団体は被災地における支援活動に関する記録を残し、漁村における復興過程を報告書にまとめてきた。
 津波から5年が経過した現在、アンダマン海沿岸部の観光地や漁村における復興支援は一通り終了している。近年では、津波が観光に与えた影響を分析した論考が出てくるようになり、またタイ人漁村における復興過程の問題を扱った研究もみられるようになった。ところが、大規模な経済的損失による注目度の高さや利用可能な資料の多さも関係してか、現在までに行われているタイ被災地の研究には偏りがみられる。つまり、研究者が関心を向けてきたのは、主に観光地と地方漁村に関することであった。たしかに、タイにおける被害が、外国人観光客の訪れる地域とタイ人漁民が暮らす村落に集中していたことを考えれば妥当である。
 しかし、タイで被災した外国人のなかには観光を目的としない者もいたし、国籍を持たない少数民族もいた。それは、不法就労のミャンマー人であり、多くのタイ人から差別を受けてきた海民である。これらの人びとのなかにはタイ国籍を所有しない者がおり、そうした人びとはタイにおける津波被害の数字に上がってこないだけでなく、基礎的な情報さえも伝えられることがほとんどない。
 タイにおける津波による被害とその影響を総合的に理解するためには、タイ国内に暮らしてきたミャンマー人や海民といったマイノリティの被災状況についても理解を深めることが重要であると考える。本研究では、筆者が今般の津波発生以前より調査研究をすすめてきたタイの海民を対象とする。
  • プーケット県のパトンビーチ

タイの海民

 本研究が対象とする海民とは、タイ語でchao leと呼ばれる人びとである。ただし、このchao leという言葉には2つの使用方法があることに注意する必要がある。一つは、海と密接な関係を持って暮らす人びと全般を表す場合であり、もう一つは、アンダマン海域(タイ領及びミャンマー領)に暮らす少数民族のみを指す場合に用いられる。本研究で言及する海民とは後者である。
 この少数民族としての海民は、言語学的分類でいうモーケン(Moken)、モクレン(Moklen)、ウラク・ラウォイッ(Urak Lawoi’)という3つの民族集団を含んだ包括的な概念である。津波に被災した6県の島嶼や沿岸域に分布しており、人口は9,300人と推計される。モーケンに限ってはミャンマーとタイの国境を跨いで広がっており、タイ領に約800人、ミャンマー領に約2,000人が暮らしているとされる。
 いずれの民族の言語もオーストロネシア語族マレー語群に属しており、タイ・カダイ語族に属するタイ語とは大きく異なる。3集団は独自の文字を持たないが、近年ではタイ語を読み書きできる海民も多くなっている。モーケンとモクレンの話す言語は近似しているため、この2集団を合わせてモーケンと定義した見方がある。しかしながら、生活様式を基準として考えた場合、モクレンはモーケンよりも陸地定着の度合いが高いという傾向がみられ、モクレンのなかにはモーケンを「島のモーケン(Moken Polao or Moken Koh)」と呼び、2集団を区別する者もいる。
 本研究では、モーケンとモクレン両者を合わせてモーケンとする立場をとるが、適宜、モーケンを「海モーケン」、モクレンを「陸モーケン」と分けて記述する。本研究におけるタイの海民とは、モーケン約3,300人(海モーケン800、陸モーケン2,500)、とウラク・ラウォイッ約4,000人の計約7,300人を指すということになる。なお、本研究ではパンガー県及びプーケット県に暮らすモーケンを中心に調査をすすめている。
  • パンガー県スリン諸島のモーケン村落

研究課題

 本研究の課題は、これまでほとんど明らかにされることのなかった海民モーケンに関する基礎的情報(村落の分布や来歴など)を把握し、津波による影響で彼らをとりまく生活環境がどのように変化したのかを考察することである。本研究を通して、タイ社会における海民の災害脆弱性を検討し、その克服に向けてどのような対応がとられてきたのか、また今後どのような対応がとられるべきなのかを究明することを大きな目的としている。

調査研究報告(2008~2009年度)

 まず、海民にとっての「災害」とは何である/あったのかを明らかにするところから研究を開始する必要があった。なぜなら災害(disaster)という概念は近代的なものであり、国家の周縁部に暮らしてきた少数民族が認識する「災害」と研究者が定義する災害とでは、それぞれ意味内容が異なる可能性があるからである。そこで本研究では2008年2月にパンガー県内の海民村落において、海民が2004年インド洋津波をどのように認識しているのかを把握するため、津波被災に関する言説の収集を行った。
 特に、パンガー県内に位置するスリン諸島に暮らすモーケンへの聞き取りを集中的に実施した。現在でこそモーケンも使用するようになっているtsunamiという言葉が、被災後の3年間において村落内に浸透し、使用されるようになったことが明らかとなった。また、タイ語で災害を指すphai phibatという言葉を、被災直後に移動した寺院における避難生活において知り、外部からの復興支援を受ける過程を経るなかで「災害」の概念を獲得していったことが分かった。
 この他、バンコク都内の図書館や研究所において、インド洋津波と海民に関する報告書を収集した。チユラーロンコーン大学社会調査研究所(Chulalongkorn University Social Research Institute)のナルモン先生(Dr. Narumon Arunothai)からは、モーケンに関する貴重な文献資料を提供していただいた。
 2009年度は、2008年度の現地調査で得た資料を整理する作業を行った。以下、次年度以降の研究課題につながる要所をまとめる。
 タイ南部6県(ラノーン、パンガー、プーケット、クラビ、トラン、サトゥーン)には1,938村落あり、そのうち412村落が津波に被災した。村落数を県別に分類すると、ラノーンが47、パンガーが69、プーケットが63、クラビが112、トランが51、サトゥーンが70である。いずれの村も比較的海に近い位置にある。タイの海民村落は全部で32村落(調査中)あり、やはり海沿いに位置している。津波に被災した村落の約13分の1が海民村落であったことが分かる。津波被災以降、海民が抱えた問題は多くあるが(漁具の損失や避難場所におけるタイ人との軋轢等)、特に大きな懸案事項となったのが土地問題であった。例えば、ピピ島トング岬周辺に村落を形成してきた海民(ウラク・ラウォイッ)は、周囲の観光開発が進展するにつれて土地権利書(chanot)の不所持を理由に行政から立ち退きを催促されるようになったが、津波以後の要求はさらに厳しいものになっている。そんななか、移動に応じない村人の一人が何者かによって殺された事件が発生し、この事件を知る者の間では土地問題が絡んでいると考える者が多いという。
 一方で、土地権利書を所持していないにもかかわらず、土地問題を解決してきた海民(陸モーケン)村落もある。観光開発が進むカオラック地域に位置するトゥンワー村がそれである。津波後、村落があった土地にドイツ政府支援による病院が建てられる計画がすすんだのだが、トゥンワーの海民は外部(NGO、タイ政府)の支援をとりつけ、土地を取り戻すことに成功した。このことに言及している参考資料内では具体的な内容には触れていないが、外部と村落の間に立ったコミュニティ・リーダーの存在が示唆されている。
 土地問題を解決できるかできないかは、その村落の位置する地理的条件や周囲の環境など、様々な要因に左右されると考えられる。しかしながら、コミュニティ内に強力な指導力や外部との交渉力を持つ人物がいる場合、災害後の問題解決に向けた好ましい状況がつくりだされるのではないだろうか。
  • 津波来襲時の様子を語るモーケンの翁

今後の予定

 筆者は、土地問題こそが海民の災害脆弱性を露呈している最たるものであると考えている。2010度以降は、土地問題を抱える/抱えていた海民村落を事例として、コミュニティ・リーダーと外部支援との関係を考察することを課題とする。調査対象地は、プーケット県及びパンガー県内の海民村落(ヒンルークディアウ村とトゥンワー村を予定)を予定している。地域再建に向けた共助・互助におけるコミュニティ・リーダーの役割や外部支援による影響について、防災学者と共同調査を実施する予定である。