KIKUSAWA Ritsuko

散歩道(エッセイ集)

オーストロネシアン――言葉で結ばれた人びと――

 オーストロネシア諸語とは、今から5000年ほど前に台湾で話されていた「オーストロネシア祖語」から発達した言語のことをいう。そしてこの言語の話者たちをオーストロネシアンと呼ぶ。今から約5千年前に台湾を出発したオーストロネシアンたちは、フィリピン・インドネシアを経てポリネシア、メラネシア、ミクロネシアなどの太平洋全域に広がった。さらにはインド洋を渡った向こうにあるマダガスカルに定住した人々もいた。その結果オーストロネシア諸語は、地理的にもっとも広い分布を見せる言語族として知られている。ちなみに構成言語数は約1200言語となっている。

 地球上の約3分の2に広がるオーストロネシアンたちの周辺は、気候、植生・食物、地形など実に多様だ。その言葉を見ると、人びとが新しい土地で新しいものに遭遇したときのことがわかって面白い。たとえば蚊を示す語は、nyamuk (ボルネオ島・ガジュ・ダヤクなど)、nóómw (ミクロネシア・サタワル語)、namu (フィジー語やポリネシア諸語の多く)など、いろいろな言語で類似した形が見られるが、ニュージーランドのマオリ語ではnamuといえば、ご当地名物砂バエのこと。やっと到着した新天地で遭遇した吸血性のこの虫は、夜中に聞こえる蚊の音以上にうっとおしく感じられたことだろう。本物の蚊のほうはといえば、wairoaという全く違う名前で呼ばれるようになった。また、フィリピン・インドネシア地域で食用、薬用、儀礼、染料の採取など多様な場面で用いられるウコン、kunig, kunitなどと呼ばれるが、マダガスカルの北東海岸地域では同じ語源から発達したhunitraという語がつる性植物の一種を指す。植物の形態は全く違っているが、根から染料をとる、という機能の上での共通点から、新しい土地でみつけたこの植物をウコンと同じ名称で呼ぶようになったものと考えられる。

 与えられた環境に適応しつつそれぞれが独自の文化を発達させたオーストロネシアの諸社会は、言語以外の要素ではひとくくりにすることができない多様性をみせるようになった。五千年という長い年月をかけて分岐を続けてきた言語も、今ではそのまま話しても互いに通じるわけではない。それでも専門家の目を通せば系統を遡ることができるオーストロネシア諸語は、空間のみならず時間軸を通して見えないところでしっかり結びついているのである。

『月刊みんぱく』 2007年9月号掲載