KIKUSAWA Ritsuko

散歩道(エッセイ集)

フィジー語Fijian

【主な使用地域】

 南太平洋のフィジー諸島共和国で話される。話し手の数は約35万人。

どんな言語?

 オーストロネシア語族・オセアニア諸語に属する、開音節・五母音という日本語話者には比較的習得しやすい発音体系をもつ言語です。基本文型は動詞・目的語・主語で、例えば、「子供がオレンジを食べた」という時には「食べた・オレンジ・子供」となります。
 フィジー語には代名詞がたくさんあります。単数・双数・少数・複数の四つの数の区別に加え、一人称に除外形と包括形があり、一セットはなんと15の形からなります。したがって、同じように「私たち」というときでも、「私とあなた」の場合には kēdau、「私と(あなた以外の)誰か」のときには keirau、さらに「私とあなたともう一人」なら kedatou という形をつかいます。「私たちフィジー人」などと言いたいときには複数形の keda です。一見ややこしそうですが、慣れてしまえば実はとても便利。たとえば、聞き手を含まない双数形 keirau を使って「私たちは出かけます」というだけで、「お父さんとお母さんで行ってくるから、あなたはここで待っててね」などというニュアンスを伝えることができたりするからです。
 代名詞にはさらに所有表現に四つの区別があります。「私のマンゴー」と言うには、私が物として所有しているマンゴーなら noqu māqō (māqō は「マンゴー」、q は [ŋg ] を示す)、私が食べようと思っているマンゴーなら kequ māqō または mequ māqō となります。kequ と mequ の区別は、前者が食べ物後者が飲み物というのが目安ですが、熟したマンゴーや飴、角砂糖は飲み物扱いとなるなど、語彙や被所有物の状態によって決まっています。所有表現には、これに加えて分離不可能所有と呼ばれるものがあり、身体名称や親族名称の中の特定の語には代名詞語尾が直接ついて tina(母)-qu(私の)「私の母」のようになります。
 フィジーの村での漁からの帰路、ある人が同じ魚のことを話すのに noqu ika と言ったり kequ ika (ika は「魚」)と言ったりする場面に遭遇しました。前者は今日の収穫量の話をしているときで「私が獲った魚」のこと、後者はもちろん「私が食べるための魚」のことで、この形を使うことでその日の自分の取り分を主張していたわけ。このような豊かな代名詞の体系は、オセアニア諸語に広くみられる特徴です。

使ってみようこんな表現!

 フィジーの村では、人を見かけたら、いや、人の気配を感じたら必ず声をかけましょう。Sā(サー) lako(ラコ) ki(キ) vei(ヴェイ)? 「どこに行くの?」。答えるときには、Lako(ラコ) ki(キ) eri(エリ). 「ちょっとそこまで」。ご飯どきであれば、Mai(マイ) kana(カナ)! 「一緒に食べましょうよ!」となります。そう言われても家に上がり込んで食卓についたりしてはいけません。Vinaka(ヴィナカ)! 「結構!」、もしくは Sā(サー) ōti(オーティ) mai(マイ)! 「もう済ませてきたよ!」というのが正しい答え方。ただし親しい相手の場合にはもちろん、立ち止まってどこへどういう目的で出かけるのだと話をすることもあります。
 これは習慣であると同時にセーフティー・デバイスでもあるのです。村で、森の中で、畑まで山の中を何キロも歩いて行く道で、互いに声をかけることで、誰がいつごろどこにいたのかを確認しあうことになるからです。ある時、5歳の女の子が行方不明になってしまったことがありました。真っ青になって探しに行きましたが、村の人たちの「あっちにいったよ」、「少し前にそこで見かけたよ」という言葉をつないでいくことで無事、見つけ出すことができたのでした。



フィジー語の今

 人が住んでいる島だけでも100以上、といわれるフィジー諸島で話されるフィジー語にはたくさんの方言があります。標準フィジー語の Sā lako ki vei? 「どこに行くの?」という挨拶言葉も、カンダヴ島では Sā lai yā?。「あなたの名前はなんですか?」というときでも、標準フィジー語では O cei na yacamu?、カンダヴ島では Ko yava nomu ila?、西部方言では O cei mu yaca? となるなど、発音や文法、語彙もさまざまです。
 長年にわたりフィジー各地の言語にまつわる話題を届けてきたラジオ番組Noda Vosa 「私たちの言葉」のおかげで、フィジーの人たちは行ったことのない土地で話される言葉についても認識が高く、番組担当のアイルランド出身の言語学者ギャラティ博士は、「どの方言も母語のように話すことができる」と尊敬の的。一方私の方は、首都で調査地出身の娘さんを見かけてカンダヴ方言で話しかけた嫌がられてしまったり(「格好悪いからやめて!」)、エリート・フィジー人の集まりで、フィジー人同士で英語だけで会話しているのを耳にしたり。言葉がさまざまな社会的地位や思想を反映するのはフィジーでも例外ではありません。



お勧めの本

 簡単な会話表現と背景を知るには、『フィジ語会話集』(アルバート・J・シーツ著, 庄司香久子訳、泰流社、1987)、フィジー語文法の入門書には、『標準フィジー語入門』(菊澤律子編, 1999, http://www.aa.tufs.ac.jp/elib/ltext/fji/pdf/a.pdf)があります。G.B. Milner の Fijian Grammar (Government of Fiji, 1972) もお勧めです。辞書は、A. Capell, A new Fijian dictionary (Government of Fiji, 1968) が語彙数も多く、使いやすいでしょう。専門書になりますが、フィジー語の方言については P.A. Geraghty, The History of the Fijian Languages (University of Hawai‘i Press, 1983) で著者が行った三十を超える地点での言語調査データとその歴史言語学的分析を読むことができます。



フィジー語を話す人々

 もう10年以上前のこと。フィジー人の友人メレがご主人の留学に伴いニュージーランドで暮らすことになりました。はじめての都会暮らしで大丈夫だろうか。心配して訪れた私の前に現れた彼女は、顔色も良くニコニコしています。その口から出てきたのは意外な言葉でした。「ここでは変な目でみられないから、すごく楽なの。」
 フィジーの人口約80万人の半数はインド系住民です。この、現地で「インド人」と呼ばれる人たちの先祖は、イギリスの植民地時代にサトウキビ・プランテーションの労働力としてフィジーに入植しました。植民地政策を含むさまざまな理由で、現在、フィジー系住民とインド系住民の仲は必ずしも良いとは言えません。住む地域も別れていて両者の接触は少なく、言葉も前者がフィジー語を話すのに対し後者はヒンドゥスターニ語などインド系の言語で、必要となれば両者の意思疎通に使われるのは英語です。メレはフィジー系でご主人はインド系、そんな組み合わせの家族は、珍しいというより「異常」だと思われてしまうのでしょう、フィジーで外を歩くと、フィジー系・インド系両方の人から冷たい目でみられるのだと、そのときはじめて話してくれました。
 「相手の人がインド人だと聞いた時には反対したものよ」とは、メレのお母さん。「でも会ってみたらいい人だったし、今では良かったと思ってる。」そして話は思いがけない方向へ展開するのです。「日本人だって、第二次大戦の時には多くのフィジー人がソロモン諸島で戦ったものだけど、あなたに会って直接話したら悪い人ではない。どこの国の人だって人間はみんな同じ。」いなかで生まれ育ち、外国どころか首都のスバにさえほとんど行ったことがない「お母さん」の、重い言葉です。
 インド系の主婦たちと積極的に交流し、今ではインド料理にも精通するメレ。メレの実家を訪れるたびに、慣れないフィジー語を話そうと努力するご主人。そんな二人を通して知らず知らずのうちに異文化に接し取り入れて行く人々。こんな日常レベルでのできごとの積み重ねが、1998年に国名をフィジー共和国からフィジー諸島共和国に改め、英語のみだった公用語にフィジー語とヒンドゥスターニ語を加えたこの国の、将来にむけての強い基盤になるのだと私は信じています。