KIKUSAWA Ritsuko

散歩道(エッセイ集)

目で見る言語・耳で聞く言語

 ほんとうに、「耳で聞く言語」などというものは完全に「目で見る言語」を話して育つ私たちのような者の想像を超越している。ものごころがついたときからクレヨンやチョークやサインペンなどといったもので壁いっぱいに落書きをして育つ民族にとって、「書いたり読んだりしない生活」などというものは存在そのものがすでに現実味を欠いている。「口承伝承」などということを聞いても、理屈で理解するのが精いっぱいだ。でも「耳で聞く言語」は確かに存在するし、実は世界の言語のなかでも多数派を占めている(はずだ)。

 フィジーという国にはおおざっぱに言って、インド系フィジー人とフィジー系フィジー人が半分ずつ住んでいる。インド系フィジー人の多くが話すヒンディー語は、周知のとおり、遠い昔サンスクリットの時代から文字があった。一方フィジー語の方はと言えば、現在でこそ音韻体系に即した立派な正書法が普及しているが、一九世紀半ばまでは文字がなかった。もちろん、ヒンディー語を話す人が皆文字を書く生活をしているわけではない、というのはつい最近までの日本の事情と同じである。ただ、文字というものそのものがその言語にあるかないかで、社会におけるさまざまなものごとの仕組みが違ってくるのは事実である。そして、私自身はフィジー語を研究するためにこの国を訪れるから、必然的に「耳で聞く言語」を話す人たちとの付き合いの方が多くなる。

 初めてフィジー人一家のもとに滞在したとき、思いがけず発見し驚いたのが「筆記用具が家のなかにない」ということであった。書くものがないのだから、小さな子どもがいる家にも落書きがほとんどない。つまり彼らは、鉛筆もボールペンも手にとらずに何か月、いや場合によっては何年も暮らしているのである。村を発つ日が近くなり、首都に住んでいる娘さんに手紙を持って行きましょうかと申し出ると、まず彼らがしたことは私に紙と鉛筆を借りることであった。

「目で見る言語」の話者と「耳で聞く言語」の話者の違いが最も顕著に現れるのは外国語を学ぶときだと私は思う。日本語話者は一般に耳から聞いて覚えるのが苦手であることが多い。何度も何度も繰り返して発音してもらっても、結局は綴りを言ってもらってノートに書き留めたり手で書くまねをしなくては感覚的につかめない。やっと覚えたと思ってもしばらくたつと忘れてしまって、またノートをひっぱり出して記憶を新たにすることになる。逆に、綴りやどんな漢字を書くのかを聞きさえすれば記憶のなかに案外すんなり入ってしまう、というのは多くの人に同意していただける事実だと思う。

 そういった部類の民族に属する私は、あるときフィジーの村で「日本語を教えてくれ」と頼まれさっそく紙と鉛筆をとりだした。「わたしは▢▢へ行きます」と書いて、空欄に入ることばをこれでもか、というようにならべあげたのである。彼らは忍耐強く待っていて、そして一文字だって読もうとはしなかった。そして、やっと顔をあげ鉛筆をおいた私がなにげなく一度発音した文を、各自で何度も復唱しながら覚えてしまったのである。彼らにとってはそれが「言葉を学ぶ」方法だったのだ。「書いたものを見る」という習慣がないから、記録とは暗唱することである。きっと、私がなにを紙の上に書いていたかにさえ気が付かなかったに違いない。そして、「書く」というバックアップがない状況における人間の記憶の確かさ! 一年後に私が同じ村をたずねたときにも彼らはやっぱりその文を覚えていて、私に話しかけてみせるのだった。

 こういう目で西洋式の学校制度というものを見てみると、それがいかに「目で見る言語」を話す人々のためにできているかに気付く。黒板に書いたものを読み、ノートに書き取って綴りを覚えるという方法そのものが、そもそも「耳で聞く言語」を話す人々の文化にはない。結果として「目で見る言語」の文化にどっぷりつかっている教師は、インド系フィジー人はよくできるけれど、フィジー系フィジー人はだめだとこぼすことになる。

 …といったようなことをフィジーの首都スバで日本語教育に携わる友人に話してみたのではあるが、最初に述べたように、伝言ゲームをすれば二人目でたちまち内容が変わってしまう民族にとっては、これはやはり想像を超えた世界なのである。「だって書いたらずっと残るけど、記憶はかならず薄れていくものじゃない」といのが唯一、彼女から得た反応であった。もっともである。私だってそう思う。でも、書いたものを読まない人にとっては、風が吹けばどこかへ消え去ってしまう紙切れの上の文字よりも、人間の記憶の方がずっとずっと確かで永遠なのである。

初出『月刊言語』 27(2): 4-5