KIKUSAWA Ritsuko

散歩道(エッセイ集)

マラガシ語--インド洋を渡った言語--

怪鳥ロックのいた(?)島

 アラビアンナイトやインド神話にあまり親しんでいない方でも怪鳥ロックの名前は耳にされたことがあるのではないでしょうか。あるいは、インドネシアの国営航空の名前にもなっているガルーダの方がピンとくる方もいらっしゃるかもしれません。これら伝説の鳥たちに共通するのは、魔法の力を持っており、そして、象をくちばしで持ち上げて連れ去ってしまうことができるというほど大きいということ。ここまで聞いて、あっ、知っている、と思われる方もたくさんいらっしゃるでしょう。でも、古い時代のインド洋で、実際にその大きな鳥の羽からつくられた水を入れるための容器がつかわれていた、ということをご存知の方はあまりいないのではないでしょうか。
 そうなのです。鳥の羽の軸からつくられたので、この水差しは筒の形をしていました。大きなものでは直径20センチ以上もあったそうです。一本の羽の軸からこんなに大きな水差しがつくれるのですから、その持ち主である鳥がどんなに巨大であったか、想像してみてください。えっ、本当ですか、ですって? 磨き上げられた美しい水差しを自慢げにみせるインド商人の話が有名なブズルク・ブン・シャフリヤールの航海日誌にも記録されているそうです。10世紀の記録です。そしてこの貴重な水差しは、インド洋貿易の西南端、マダガスカルという土地からくるのだ、ということでした。
 航海においては水を入れる容器はなくてはならないものです。ましてやそれが伝説の魔鳥の存在を裏付けるものであるならば、単なる水差し以上の重みを持つものとしてインド洋貿易にのり、アフリカ東海岸を経てペルシャ湾、そしてインド亜大陸へと運ばれたと思われます。同時に、この羽の持ち主である鳥のことや、その鳥がいる大きな島の話も人びとの口から口へと伝わったことでしょう。インド洋のさまざまな地域でいろいろな人がこの水差しを見て魔法の鳥に思いを馳せたに違いありません。
 さて。この鳥の羽の軸でできた水差しの誕生には、実はマダガスカルの言語が一役かったという説があります。マダガスカルでこの「ヴル(volo, 鳥の羽)」でできた水差しを手に入れたのはおそらくアラビア商人でした。アラビア語圏に古くから言い伝えられていた巨鳥の伝説、そしてマダガスカルの固有種で身長が3mもあったというダチョウに似た鳥(Aepyornis, 19世紀に絶滅)の存在を背景に、この水差しが鳥の羽でできていると聞いたとき、それはどんな代価を払ってでも手に入れる価値のある貴重なものに思われたかもしれません。ところが、マダガスカルでヴル(volo)というときには、実はもうひとつ別の意味がありました。それは「竹」です。早い時代のインド洋周辺地域で竹が存在したのは東南アジアとマダガスカルだけでした。まだ竹という植物を知らなかったアラビア商人、筒状の水差しが鳥の羽でできていると聞いて信じてしまったのも無理はなかったのかもしれません。ですから、この鳥の羽には、よくみると節があったはずです。
 現在でもマダガスカルで地方を訪れると、竹でできた水差しを肩にかついでいる人とすれ違うことがあります。通常、直径15センチ長さ2メートルほどといいますが、村のおばあちゃんがもっと細い竹に水を汲んでいるのを見たこともあります。自然の竹をそのまま利用するので自在にサイズを選べるのも利点のひとつでしょう。いずれにしても一番底の節を残して内部を空洞にしたもので、家では壁に立てかけておきます。

マダガスカルの言葉のルーツ

 鳥の羽に化けた竹の水差し、誤解を生ぜしめた歴史的背景のひとつとしてマダガスカルの言葉が近隣の言語とは異なっていたという事実が指摘できます。そう、マダガスカルの言語――マラガシ語――は、地理的に近いアフリカ東海岸の言葉とも、貿易で使われたスワヒリ語やアラビア語ともまったく違っています。それではどこの言語と一番近いかというと、なんと、インド洋を渡った反対側にある太平洋の言葉なのです。
 言語の関係が近い、あるいは系統が同じというのは、簡単にいえば「ご先祖様がおなじ」ということです。マラガシ語は、現在太平洋やその周辺部で話されている言語と同じ言語(「祖語」)から発達しました。これらの言語をまとめてオーストロネシア諸語と呼びます。インドネシアやフィリピンでは現在、千を超えるオーストロネシア系の言語が話されていますが、マラガシ語はその中でもボルネオ島で話される東南バリト言語群というグループに属する言語にもっとも系統が近いということで研究者の意見は一致しています。このことから、マラガシ語話者の先祖にあたる人びとは何らかの理由でボルネオ島を離れマダガスカルに定住したことがわかります。時期としては紀元後7世紀ごろと考えるのが妥当なようです。
 マラガシ語には現在でも東南バリト言語群から分岐したときに持っていたと考えられる特徴がみられますが、このほかにもインドネシアで話される他の言語、ジャワ語やバタック語などの影響も受けたようです。これがボルネオ島を出てからマダガスカルへ渡る前のインドネシア地域内での交流の結果なのか、それともマダガスカル定住後にインドネシアから訪れてきたこういった言語の話者との交流の結果であるのかについては、現在のところ意見が分かれていて結論がでていません。



オーストロネシア起源の要素と新しい環境への適応

 さて、水差しをつくるのにつかわれた「竹」を表す語ヴルは、マダガスカルの人々がインドネシアを離れたときすでに持っていた単語でした。太平洋側で話されている言語にも、ヴル・ウ(vulùʔu)、ブル(bulu)、ブホッ(bùhoʔ)のように、マラガシ語のヴル(volo)と見た目は少し違うけれども専門的に分析すると同じ語源をもっていることが明らかである単語をたくさん見つけることができます1 。約五千年前に話されていたこれらの言語の祖先にあたる言語では、この竹を表す語は*bùluqのような形をしていました。一方、水差しに入れる水の方ですが、マラガシ語ではラヌ(rano)といいます。これもヴル同様に太平洋から一緒にわたってきた単語です。もともとの語は*daNumでした。現在のインドネシアでは単語が変わってしまいワイ(wai)やウェ(we)のような語が多くなっていますが、台湾原住民語やフィリピンの言語ではダルム(dalom)、ナヌム(nanom)、チュム(chum)などの語が見られ、その分布を見るとマラガシ語が古いほうの形を維持していることがわかります。さらに、鳥の羽をあらわす語は*buluであったと考えられています。この語はオーストロネシア諸語全般で現在でもよく使われており、とくにインドネシアでは、多くの言語でウル(wulu)、ブルング(bulung)、フル(hulu)のような形が見られます。羽の持ち主であるところの鳥をあらわす語は、上の三つとは少し事情が異なっています。マラガシ語のヴールナ(vòrona)と同起源の語はボルネオ島のバリト語族の言語のみに見られ、このようなところにマラガシ語の起源が垣間見られるわけです。
 このように現在のマラガシ語がオーストロネシア起源であることは明らかです。ところで、マダガスカルはインドネシアの島々とは環境が異なりますから、最初に到着した人びとにとって見慣れない植物や動物などもたくさんいました。そのような場合には、太平洋側にあったもののなかで似たものの名前をあてはめてつかうようになりました。たとえば、最近日本でも観葉植物としてよく見かけるインド・クワズイモ(Alocasia sp.)はサトイモに似た形の葉がつるっとした植物ですが、これは太平洋全域にみられる植物で古い名前は*viRaqです。マダガスカルにはこれに似た植物(Typhonodorum sp.)があるのですが、クワズイモを示す語をそのままあてはめ、ヴィハ(viha)またはヴィア(via)という名前になりました。このほかにも、根から染料をとることのできるツル性の植物の名前フーニチャ(hònitra)は、同じく染料をとるのに用いられたウコンを示していた語*kunijをあてはめたものです。マダガスカル固有種として有名なキツネザル科の動物のアイアイ(haihay)という名称もアルマジロの一種を示す語*qaRemからきたものであると語形の方は説明できるのですが、ここまで違うと意味の関連性を見つけるのが少し難しいですね。
 いずれにしても、マダガスカルに到着した人々はこのように、太平洋から持ってきた言語を新しい住処の環境に適応させながら独自の言葉を発達させました。現在でもマラガシ語には太平洋地域の言語と似た単語がたくさんみられます。また、ここでは単語の例だけをあげましたが、実はマラガシ語がオーストロネシア起源であることを示す特徴はむしろ文法構造に顕著にみられるのです。ここでは詳しくお話しできないのが残念です。

インド洋交易とマラガシ語の発達

 さて、インド洋交易を通じて伝説の鳥の羽でできた水差しを各地に送り出したマダガスカルですが、自らもまたその影響を受けて発達しました。いくつもの地域で9-15世紀のペルシャの陶器や中国の陶器の破片などが発掘されており、外部との交流がさかんであったことを物語っています。もちろんこのことは言葉にもよく反映されており、マラガシ語には交易につかわれたアラビア語やスワヒリ語から入ってきた単語がたくさんみられます。また、マダガスカルで最初に使われた文字はアラビア文字で、東南部のアンテモロとアンタンバホカと呼ばれる地域で実用化されました。また、マジュンガを中心とする北西海岸地域はコモロ諸島などから交易で訪れる人びとが船をつける場所でした。商人たちとの意思疎通の必要性から、東南部より実用的な面でアラビア語やスワヒリ語の影響を受けたといわれています。またこの地域の船乗りたちは航海に出るときにはスワヒリ語またはアラビア語で書かれたマン・サファラ(man safara)と呼ばれる航海ルートの本をお守りのように携帯していたそうです。これらの言語の影響はマダガスカル全土に広がったものも多くあり、現在でも使われているものとして、たとえば曜日の名前をあげることができます。
 マラガシ語にはまた、サンスクリット語起源の単語もたくさんあります。たとえば一月、二月といった月の名前は古くはサンスクリット語起源のものが使われていました。サンスクリット語では1~2月はmāghaですが、マラガシ語に入ってマカ(maka)、もしくはヴラマカ(vola-maka、vola-は「月」という意味)という語になりました。面白いことにこのサンスクリット起源の名称、実は同じ名前でも地域によって示す時期が違っています。たとえば、ツィミヘティ語ではマカ月といえば3月のことであるのに対しメリナ語では4月、バラ語では6月、アンテムル語では7月、アンタヌシ語では8月、といった具合です。つまり、9月にマダガスカルで「マカ月にマダガスカルに来たのですよ」と話をすると、「(8月に着いたので)まだひと月しか経っていない」という解釈から、長いものでは「(3月に着いて)すでに半年になる」という意味にまでなり得るわけです。でも、いったい、どうしてなのでしょうか。それは、これらの月の名前が農耕作業の段階に対応していたからなのです。マダガスカルでは乾季・雨季のサイクルにあわせて農耕活動を行うのですが、雨季のはじまる時期が地域によって異なります。したがって、たとえば「田植えをする月」は地域によって少しずつずれることになり、その結果、農耕作業に対応した月の名前は、同じ名前でもあらわす月が地域によって違う、ということになったわけです。現在私たちが用いている月の名前やフランス式のものが「絶対月」であるのに対し、言ってみれば「相対月」とでもいったところですね。

地域方言の発達

 さて、地域差がみられるのは月の名前に限られたことではありません。日本の各地に方言があるようにマダガスカルにもいろいろな方言がありますし、標準語もあります。標準語は現在首都があるメリナ地方の言葉がもとになっています。標準語を話すことができれば、どの地域に言っても意思疎通をすることができる、という点でも、そのかわり土地の人同士が方言で話しだすと何をいっているのだかわからない、という点でも日本の事情と似ています。ちなみに竹でできた水差し、標準マラガシ語でラナーナナ(lanànana)といいますが、地方へいくとラガーナガ(lañànaña)、ララーナナ(lalànana)、ラガーナナ(lañànana)のように微妙に名前が変わります。また、猫は標準語ではサカ(saka)ですが、東海岸ではピス(pisu)、もしくはプシ(pusy)、犬は標準語ではアリカ(alika)に対して、東海岸ではキヴァー(kivà)など、方言によって形がまったく異なる単語もたくさんあります。
 ところで、私が調査をしているベチミサラカ地域では標準マラガシ語とは異なり、竹はヴォル(völo), 髪の毛はヴルンドハ(vorondôha)、鳥の羽はヴォルヴォルニ(völovölony)といったように、似てはいるけれども異なる単語を使います。もしアラビア商人が竹の水差しをはじめて手にしたのがベチミサラカ地域であったなら、伝説の怪鳥の羽からできた水差しは歴史に存在せずにおわったのかもしれません。

マラガシ語の将来

 このように太平洋の西側からインド洋をわたってマダガスカルに到着し、さまざまな言語の影響を受けながら独自に発達を続けたマラガシ語ですが、19世紀初頭にはロンドン宣教師会のジョーンズ牧師により現在用いられているアルファベットによる書記法が導入され、その後フランス植民地化に伴いフランス語からの借用語がたくさん入ってくるようになりました。東南アフリカ市場共同体(COMESA)への加盟をきっかけに英語教育にも力を入れはじめていますし、観光ビジネスなどではその他の言語に興味を持つ人も増えてきました。怪鳥ロックの時代とはまた違ったグループの人々が違ったスタイルでマダガスカルを訪れ始めています。日本から訪れる人もだんだん増えてきました。そんななかで何かとても不思議なものがマダガスカルから届くことを期待してしまうのは私だけでしょうか。
 遠い国からきた伝説の鳥の羽の水差しを大切にしまっていた人びとのこと、インド洋をわたる大移住。何をとりあげてもスケールの大きい歴史物語と切り離せないのが、私にとってのマダガスカルの言葉です。