KIKUSAWA Ritsuko

散歩道(エッセイ集)

ミクロネシアの言語

 ミクロネシアは、もともと人の住んでいなかった場所にいくつかの周辺地域から異なる時期に異なるグループの人々が移住して広まってできた地域である。言葉の方もこの歴史を反映し、それぞれが定住当時に持っていた古い特徴を受け継ぎながらも、新しい自然環境とそれに適応した生活形態を反映し、また地域内・地域外両方の人々との交流による影響を受けつつ変化を続けて今日に至っている。山脈や大河などに隔てられた地域で異なる言語が発展することは良く知られているが、海が自然境界であると同時に交通路でもあったミクロネシアの島々では、地域全体での類似性を保ちながらそれぞれにおいて特有の言語が発展した。その結果、現在この地域では全部で約五〇余りの言語が話されており、そのなかには方言があるものもある。

 どんな言語でも、日常生活で頻繁に用いられるものの名称や用途、それに、身近な自然現象などに関する語彙や表現がが豊かである。ミクロネシアの言語も例外ではなく、ここでは特に食用植物や魚類、それに航海技術に関する用語などが多くみられる。ココナツを例にとっていえば、食用になる実、敷物やバスケットを編むのに使う葉、縄などを作る繊維をとる殻、それぞれについての成長段階や用途などに応じて用いられる異なる呼称や、細かい部位に関する名称がある。ためしにウォレアイ語の辞書で「ココナツ」という項目をひいてみると、ココナツ一般を示す語liuのみでなく、ココナツの実を表す語だけでも、熟し具合に応じて使い分けられるgurub(若い緑のココナツジュースを飲むのに適したもの)、sho(熟して茶色くなりココナツミルクをとって料理に使うのに適したもの)、paawol(さらに熟して新鮮でなくなったもの)といった語があがっている。また、ココナツの外皮からとれる繊維についても、まだ外皮についているやわらかい繊維は worocho、縄や織物をつくるために乾燥させた繊維は gosh、そしてロープを編む作業のためにとりわけられた一筋の繊維はmoroligoshと呼ばれるなど、ココナツに関する単語だけで簡単に五〇を超してしまう、といった具合である。

 このような自然環境やそこでの人々の生活を反映した語彙や表現はミクロネシアを含む太平洋地域の言語にみられる一般的な特徴ともいえるが、一方で起源の異なる言語グループそれぞれに固有にみられる特徴もある。ミクロネシア地域で話される言語のほとんどは、太平洋全域に分布がみられる「オーストロネシア諸語」という言語グループの中の「ミクロネシア諸語(古い言い方では「中核ミクロネシア諸語」)」に属する(起源に基づいた系統分類でありミクロネシア地域の言語すべてが含まれるわけではない)。ミクロネシア諸語にはさまざまな特徴が見られるが、そのなかでもっとも顕著なのは発音や発音それに関する規則で、たとえばポリネシアに比べてミクロネシア諸語はずいぶん複雑である。表一にポリネシア諸語のなかでもっとも単純なハワイ語(母音五、子音九)と、ミクロネシア諸語のなかでも比較的複雑なコスラエ語(母音一二、子音三一)の音韻体系をならべてみた。その他の言語でも、母音が七つ(モキル語 Mokilese)、八つ(ユリシ語 Ulithian)、九つ(チューク語ChuukeseまたはTrukese・サイパン・カロリン語Saipan Carolinian)あったりする上に長母音・短母音の区別がある。子音の数は一五から二〇くらいだが、一般にmwとかpwとかいったような軽い「ワ」の音をともなう閉鎖子音があることや、またttだとかkkと言ったような二重子音が見られることが多い。母音がたったのは五つで子音は一〇かそれより少し多いくらいというポリネシア諸語とは対照的である。

 音韻的な特徴だけではなくさまざまな文法現象、たとえば一本、一枚、一人・・・といったように日本語と似た分類詞を用いることなどもミクロネシア諸語の特徴のひとつとしてよく知られている。表二にポナペ語の分類詞の例をあげたが、数えられるものの特徴がその土地の生活の様子を物語っているようで興味深い。

 ミクロネシア地域で話されていて「ミクロネシア諸語」に含まれない言語には、チャモロ語(グアム・サイパン島)、ヤップ語(ヤップ)、パラオ語(パラオ共和国)、そしてヌクオロ語とカピンガマランギ語(ヌクオロ島・カピンガマランギ島)がある。これらは、ミクロネシア諸語同様オーストロネシア諸語に属するが、このうちチャモロ語はフィリピン北部の言語と最も関係が近い。ヤップ語はメラネシアで話されている言語にもっとも系統関係が近いと考えられているが、ミクロネシア諸語を含む近隣言語の影響を何重にも強く受けており、もともとの特徴がはっきり残っていない。パラオ語の系統についてはまだあまりよくわかっていないのに対し、ヌクオロ島とカピンガマランギ島の言語は明らかにポリネシア系である。これらの言語は、古い特徴を維持すると同時に周囲の言語の影響を受けてミクロネシア的な特徴をも取り入れて変化を続けながら今日に至った。たとえば、ヤップ語の発音体系が八母音三〇子音などと複雑になっているのはミクロネシア的な特徴だといえるし、またパラウ語が多くはないまでも数詞を持っているのも同様にミクロネシア諸語の影響であろう。一方、チャモロ語には今でも北部フィリピン言語と共通する文法的な特徴が見られるし、ヌクオロ語やカピンガマランギ語はポリネシア言語としての特徴をとてもはっきりと維持している。

 このように、ミクロネシアではもともと起源の異なる言語がひとつの地域に集まり、人々の交流の歴史を反映しながら変化を続けてきたが、一六世紀以降植民地支配を受けた地域ではさらにスペイン語、ドイツ語、英語、日本語などの影響も受け、多くの借用語彙が見られることになった。たとえば、日本語からの借用語であるナッパ、ハラマキ、ジドーシャなどといった語が、現在では多くの地域で日常語として使われているし、日本占領時代の学校教育の結果、今でも日本語をかなりよく話せるという人もいる。

 近年では、国際語としての地位を確立しつつある英語の影響が特に都市部で顕著に見られるようになった。これも歴史の流れとは言え、伝統文化の知識が反映されたその土地その土地の言語が失われてしまうことになると残念だ。そのような意味で、近年、いくつかの地域で現地語教育に関する関心が高まりつつあるのは心強い。