KIKUSAWA Ritsuko

散歩道(エッセイ集)

シリーズ・ことばを通して見る南太平洋 (2000-2001)
1. 歴史を反映することば

 今回から8回にわたり、南太平洋のことばについてお話しします。もっとも、南太平洋で話されていることばはとてもたくさんありますので、とてもそれら全部をとりあげることはできません。そこで、このシリーズでは、ひとつひとつの言語について解説するよりも、ことばを通して太平洋の人々の歴史や暮らしなどについてどんなことがわかるか、ということを、なるべくやさしい表現でお話ししたいと思います。

 さて、新年を迎え、「今年こそは島へ行くぞ!」と決意を固めていらっしゃる方もたくさんおられることでしょう。どの島に行くかが決まったら、ガイドブックをのぞいて、そこでどんな言語が話されているかをちょっと調べてみてください。もしかしたら英語やフランス語などといったヨーロッパ言語の名前が書いてあるかもしれません。太平洋の島なのにヨーロッパ言語が公用語だなんて、ちょっとヘンだと思いませんか。それでは、同じ本の「歴史」の説明の最後のあたりをちょっと読んでみてください。おそらく、旧宗主国の言語がそのまま公用語、あるいは共通語として使われているということだろうと思います。たとえばフィジー諸島共和国では、長く旧宗主国である英国の言語、英語が公用語でした。昨年になって、現地の日常生活でより多く用いられているフィジー語とヒンディー語が加えられ、現在ではこの三言語すべてが公用語として同等に扱われることになっています。こんなちょっとしたことでも、ことばや言語使用にその国の歴史が反映されているんですね。えっ、島好きの皆さんはそんなこと、もうとっくにご存知でした?それは失礼いたしました。

 ところで、これと似ているけれど異なるものに、旧宗主国の言語が基盤となって新しくできた公用語、または共通語があります。みなさん、バヌアツ共和国でひろく話されている「ビスラマ語」だとか、パプア・ニューギニアの「トク・ピシン」などといった言語の名前をお聞きになったことがあるでしょうか。これらの言語は、英語と現地語が混ざって生まれた新しいことばで、専門用語では「クレオール言語」と呼びます。とくにメラネシア地域で多くみられる種類の言語です。「クレオール言語」などというと、なんだか特別な言語のように聞こえるけれど、二つの言語が混ざること自体は、そう珍しいことではありません。たとえば日本でも、戦後、米軍の兵士と意思疎通するのに「ミー・トゥモロー・カム、ね?」などということばが聞かれたそうです。英語の単語を日本語の順序で話しているのがわかりますね。この段階の言語は「ピジン」と呼ばれます。話し方に個人差があり、まだ一人前の言語とはみなされません。日本では、米軍が撤退した段階でこの「ピジン」もなくなってしまい、「クレオール言語」に発達するにはいたりませんでした。逆にいえば、現在、「クレオール言語」が話されている太平洋の島々では、英語と現地語の接触が、新しい言語を生み出すくらい長く続いたということなのです。「クレオール言語」はちゃんとした一つの言語ですから、その言語独自の動詞の活用だとか、その他の文法規則があり、語彙もゆたかで、普通の言語で表現できることはなんでも表現できます。この言語だけを話して育つ子供たちがいることからも、それがよくわかりますね。

 次回は、もう一歩、時代をさかのぼって、いろいろな言語を比べることで太平洋の民族移動の歴史がわかる、ということについてお話しします。   

2000.1 『Vasa Lanumoana 日本ツバル友好協会ニュースレター』(37) 掲載