KIKUSAWA Ritsuko

散歩道(エッセイ集)

シリーズ・ことばを通して見る南太平洋 (2000-2001)
5. 高貴な方のお名前

 ハワイで開かれたある会に出席したときのことです。日本からはプリンセス・サヤコがご出席になります、と聞き、はて誰のことだろう、と思いました。私達は普段、皇室の方々を○○宮さまという形でお呼びしますので、考えてみれば本当のお名前は知らないことが多いですね。当日、紀宮様は、お人形のようにかわいらしいお着物姿で現地の方々の歓迎に応えていらっしゃいました。

 日本ではこのように、皇室の方々のお名前を直接呼ぶことを避けたり、また特別な敬語を使ったりする習慣がありますが、ポリネシア社会にも最近まで似たような習慣が見られました。

 ポリネシアの国々の多くは、世襲性の王政で身分階層があることが特徴としてよくあげられます。ポリネシア諸語で使われている単語を詳しく調べると、多くの国で、王様の名前に似ている単語の使用を避ける習慣があったことがわかります。詳しい報告があるのはタヒチの例で、たとえば、初代国王ポマレ一世の統治時代にはpoo 「夜」という語のかわりにru`iが、 mare 「咳」のかわりにhotaが用いられました。最初の例ru`iはもともと「暗い」という意味だったのですが、ポマレ一世が君臨するようになってからpooに変わるものとしてつかわれはじめ、それが定着して現在に至ったということです。

 このような習慣は、タヒチだけでなく、トウアモツ諸島やサモアの言語、そしてニュージーランドのマオリ語における例などもよく知られており、専門家の間では、 "name avoidance", "word tabooing" などと呼ばれています。通常、統治者がかわると元の単語が再びつかわれはじめますが、タヒチの例のように、置きかえられた語がそのままつかわれ続けるということもありました。その結果、現在のタヒチ語と近隣の言語の単語を比べると、タヒチでだけ全然異なる形がつかわれている例が多くみられます。

 ポリネシアの王政に対し、メラネシアの方は、その時々の村の「ボス」的な存在の人が長となる「ビッグマン」と呼ばれる権威制度で、こちらではポリネシアにみられるような単語の置き換えは知られていません。ところが、メラネシア諸語を比べると、やはり、地理的に近い場所で話されている言語の間でもかなり大きな違いがみられることがよくあります。これは、部族間の違いを際立たせるため、人々が意識的にまわりの村とは異なる単語などをつかった結果なのではないかといわれています。残念ながら、これを証明するには、メラネシア言語についてまだかなりの研究が必要です。ただし、そのような言語行動自体は、フィリピンの狩猟採集民族その他で実例が記録されており、よく知られているものであることを付け加えておきましょう。

 ポリネシア、メラネシア、いずれの例も、言語の歴史には、時間軸にそった自然な変化や異なる言語を話す人たちとの接触による変化だけでなく、人々が意識的に変えたものがそのまま言語の一部となり受け継がれていく部分もあるのだということを示しているのが興味深く感じられます。子供の時に、両親や先生達にわからないように、と、仲間同志だけにわかる新しいことばをつくりだしてつかったりしていたことを思い出したりするのは、私だけでしょうか。  

2001.1『Vasa Lanumoana 日本ツバル友好協会ニュースレター』(41) 掲載