エクスペディションと人類学の歴史

「書を捨てよ、町へ出よう」とは寺山修司の呼びかけですが、大学所属の研究者が本も実験器具も捨てて大学の建物を出たのは、それほど古いことではありません。牧野富太郎はすぐれたフィールドワークにもとづいて独自の植物学を打ちたてましたが、彼は和漢の本草にも精通しており、まずもってすぐれた文献研究者でした。いわゆる理科系の研究でもそのような状況ですから、人文社会系の研究者が本格的にフィールドワークをおこなうのはずっと後です。柳田國男が生活の営みそのものを資料とみなし、その報告を全国規模で集めるようになった1930年代頃が、その時期にあたるといってよいでしょう。

おもしろいのは、なんの変哲もない人びとの生活の記録が学術活動として社会に認知されるまで、研究者たちがかならずしも研究のみに邁進せず、視覚的メディア・コンテンツの制作にも積極的に関わったことです。博物館展示やそのための資料収集、映画撮影などがその一例です。柳田國男も、写真家 三木茂とともに、写真と文で構成されるユニークなエスノグラフィ『雪國の民俗』を公刊しました。第二次世界大戦後は、人類学者が出演する総天然色の記録映画が劇場でヒットし、彼らの活動がテレビ番組となってお茶の間にも登場しました。これらの視覚表現は、いっけん学問の余技のようにみえます。しかし、人びとの生活が文字だけでなく映像によっても効果的に記録されるものであり、その記録が学術以外の文脈でも鑑賞されることをふまえれば、研究者たちのメディア活動は学問の裾野を大きく広げたといえるでしょう。

人文社会系のフィールド研究は、今でも同様に社会との接点を維持しています。ふつうの人びとの生活は、他のふつうの人びとの生活にとっても学ぶべきところがあるからこそ、人文社会系のフィールド研究は今なお意義があるかもしれません。