KIKUSAWA Ritsuko

散歩道(エッセイ集)

民族のこころ(116) ココナツに登るはなし

 初めてフィジーに調査に行く機会を得たのは1991年の5月だったが、その時国際空港に近いナンディという町に1週間ほど滞在した。 そしてひょんなきっかけからインド系フィジー人の家族と知り合うことになった。 「インド系フィジー人」というのはプランテーションの労働力として数世代前にインドから移住してきた人達の子孫で、現在フィジーの人口の半数近くを占めている。ただし、フィジーで は彼らはただ「インド人」と呼ばれ、また、今でもその多くがインド式の生活様式を忠実に守って暮らしているのも事実である。

 さて、あれこれ話をするうちに、ココナツに登る話になった。南の島の生活については初心者だった私が、誇らしげにココナツ・ジュースの味を語る彼らに、飲むのに適した緑のココナツの実をどうやって手に入れるのか訪ねたのである。すると、登ってとるのだという。ココナツには途中に枝もなにもない。私はどうやって登るのか訪ねた。すると、父親が登って見せてやる、と言い出した。自分はココナツに登るのは、得意だと。 フィジーに着いて何日も経たないうちに思いがけずココナツ登りを見られることになった幸運(?)に感謝しながら、胸をわくわくさせてココナツに登る彼を見守ったが、期待と彼の言葉に反して結果はさんざんであった。勝手な話だが、スマートにするすると登る様子を期待していた私は、幹を抱きかかえ、必死の面持ちでどうにか重力に逆らっているという風情の登り方に、正直言って幻滅した。苦労をかけたわびを言いたい気持ちをどうにか抑えつけ、思い付く限りの世辞を言い、その後私は二度とココナツに登ってくれなどという要求を、誰に対しても決してしたりはしなかった。

 それでも南の島に出入りしているとチャンスは自然に訪れるものなのである。それはフィジーの西、ヴァヌアツでのことだった。ある日、女の子二人と散歩に行くと、そのうちの一人が何を思ったか、道端のココナツにするすると登ってしまったのである。あっけにとられて見ていると、もう一人の女の子が言った。あんなふうに、てのひらだけで身体をささえてのぼってしまうのは、本当にとってもめずらしいの。男の人でも、ふつうは幹を抱きかかえて、足の力をつかってのぼるのよ。本当に、彼女はちょっと手を添えただけで、歩くようにすたすたと登ってしまったのである。私がカメラをむけるとあわてて降りてきたが、もう一人の女の子に説得されて、またするすると登ってしまった。そして今度は写真がとりやすいように、真ん中のちょっと上でとまってくれたのである。

 その後、緑の実やかごを編むための葉を村の男の人に登ってとって来てもらったり、自分でも家の裏にある小さなココナツに登りかけて村の「おかあさん」にたしなめられたりするうちに、ココナツに登るはなしは私にとって特別のことでもなんでもなくなってしまった。けれども、今でも私はときどきあのナンディでのできごとを思い出す。自分達をフィジー人と呼び、自分達が話しているヒンディ一語を「フィジー語」であると言い、カバをふるまい、ココナツにさえ無理矢理にでも登って見せた彼の主張の意味を、フィジー系フィジー人とインド系フィジー人が必ずしも相和して暮らしているわけではないフィジーという国の歴史のなかで私がとらえることができるようになったのは、ずっと後になってからのことだった。そして年々フィジー系フィジー人の文化にばかり詳しくなり、インド系フィジー人の「フィジー語」を未だに話せない私は、さとうきび畑の中にある掘っ立て小屋のような彼らの城をもう一度訪ねてみる勇気が持てずにいる。



「民族のこころ(116) ココナツに登るはなし」 『通信』 88号 掲載