KIKUSAWA Ritsuko

散歩道(エッセイ集)

フィジーの焼きざかな

 私はあまり日本の食べ物に執着がない。これは、だから海外に行くときには必ず梅干しを持っていくという人に対して優越感を感じるとか、そういうのでは決してなくて、要するに経済的なのである。精神衛生上もよい。このことだけを理由に、私はフィールドワークに向いているのだと、胸を張って言わせていただいている。

 そんな私の一番の好物はタロイモで、最初はそうでもなかったのが、二度、三度と南太平洋の国々に出入りするうちに、夢にまで見るようになってしまった。タロイモと新鮮なさかな。これが、南の島の海辺の村にフィールドワークに行く楽しみである。さかなといっても、日本での食べかたとはずいぶんちがう。小さいものはうろこを落とし、大きいものはぶつ切りにして、水かココナツミルクにほうり込んでそのまま火にかけ、煮えたら塩で調味するだけのことが多い。ときどき油で焼くこともある。これは数日間保存する必要があるとき用いる方法で、保存する期間中、毎日表面を焼いて日もちをよくする。よその村の親戚の家などに泊りがけで出かけるときは、ちょうどてみやげのように何らかの食べ物を持っていくのが普通だが、そのためのさかなを数日前にとってきておいて、こうして保存したりする。

 フィジーにも焼きざかなというものがある、ということを知ったのは、村の人々がピクニックに行こう、と言い出したある時のことであった。それまでにも村には何度か滞在していたが「ピクニック」に行くのははじめてのことだ。「ピクニック」ではみんなでさかなをとってきて、たき火でさかなを焼き、「焼きざかな」にして食べるのだという。村の人たちは、私が「焼きざかな」を食べられるかどうか心配して聞いてくる。 (彼らは本当は私が何でも食べることを知っているから、これは社交辞令というようなものである。) 私は「焼きざかな」は日本にもあって、とても一般的な食べものなのだと彼らに説明した。

 「ピクニック」には、村から見えている岬をくるりとボートでまわったところにある「白い砂」のビーチまで行くという。白い砂のビーチというのは珊瑚礁のビーチのことで、砂の色は真っ白、海の色は空をそのまま映したように真っ青で透明だ。ちょうど、南の島の観光ガイドの表紙に載っているような風景を思い浮かべていただけばよい。ちなみに村が面している海岸は火山性で、「黒い砂」のビーチである。珊瑚礁はさかなが特にゆたかで、「ピクニック」とはつまり、集中的に珊瑚礁のさかなをとりに行く集団労働のことなのである。

 さて、現地に着くと、男性はさっそく、水中銃、あるいはもりを持って獲物をとりにでかけ、女性はココナツの芯や、薪をひろいはじめた。午前中いっぱい働き、収穫物がかなり集まったところで、待望の昼ごはんになった。これこそが「ピクニック」の楽しみである。拾い集めたパンの実を焼き、シャコガイを生のままかじり、さかなを焼く。さかなを焼くときには、日本で私たちがたき火で焼くのとはちょっと違って、熱く焼けた石の上にさかなをおき、そのまま火の手がとどくかとどかないか、というくらいの場所にしばらくおいておく。途中で一度裏返す。私はこんな場では勝手がわからなくて一応お客さん扱いだから、私のさかなが最初である。こげないように、と丁寧に焼いてくれた。日本でもそんな風に(ちょっとちがうけど)さかなを焼いて食べるのよ、などと話をする。このとき私のために焼いてくれた魚は、見かけがイトヨリダイに似ているもので、塩をふったさかなに少しこげめがついてきておなじみの「焼きざかな」のにおいがたちこめてくると、そういえば、フィジーで食べなれたものにお目にかかるのははじめてだ、と気がついた。久しぶりに「焼きざかな」が食べられる、さっぱりしたものが食べられる、と私は心の中で思い、みんなのさかながまだ焼けていないのがなんだかちょっぴりじれったく感じられた。

 さて、石の上にのっていたさかなが焼けて、ちょっと深めのお皿にとってくれ、それをそのまま渡してくれるのかと思ったら、チリとライムをかけるか、ときく。ライムはわかるけど、チリはどうやってつかうのかしら、と興味津々で、両方お願い、と言った。ライムはそのまま果汁をかけて、チリはナイフで細かく刻んでお皿に入れ、これでいいね、といいながら、真水の入った容器を持ってくる。そして、えっ、ちょっと待って...とさけぶひまもなく、私の焼きざかなは水のなかをふたたび泳ぎだし、丁寧にふたをしたお皿は、誰かがまちがってひっくりかえさないようにと、またどこかへ持っていかれてしまった。村のひと曰く、「しばらく置いておかなくてはおいしくない」。

 冷えた水びたしの焼きざかなは、想像に反し、正直言ってとてもおいしかった。でも、私は、自分がどんなに「食べなれた」焼きざかなに執着を持っていたか、を思い知らされて、心のなかでなんとなく自分自身に舌を出す思いで、はじめてのフィジーの「焼きざかな」を味わったのである。



1997. 「調査こぼればなし(45) フィジーの焼きざかな」 『国際学術研究ニュースレター』 36: 52. 掲載

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