KIKUSAWA Ritsuko

散歩道(エッセイ集)

皇太子奨学金留学生手記

留学先:ハワイ大学言語学科博士課程
専攻:言語学
留学期間: 1994∼1996年



 とにかく食事のために外出するくらいなら自分で料理した方がよほど楽、というほどの極端な出不精で、それに、いわゆる「エスニック料理」などというものが巷ではやり出すうんと前のことだったから、グルメを誇る昨今の学生さんたちには笑われるかもしれないけど、私がタイ料理や韓国料理をはじめて口にしたのはハワイに行ってからのことだった。はじめてメキシコ料理を食べたときには、辛くて辛くて、でも一緒に行った人達とはほとんど初対面だったから頼んだ料理を残す勇気もなくむりやり口に入れつづけ、さて、その晩、アパートにもどってからすさまじい腹痛におそわれた。ご参考までに、辛いものを食べて腹痛を起こす経過と時間は次のとおりである。

 まず、食事をしたのは午後8時ごろ。それからしばらくは胃が重いだけだった。背骨の両側あたりがなんとなく熱いと感じだしたのが、真夜中から午前1時にかけてのこと。私は日本から持っていった書きかけの論文を仕上げようとコンピューターに向かっていた。それからその熱さが腰の痛みにかわり、とにかくいったん横になることにしたのが午前3時。その二時間後にはおなか全体の強い痛みで日が覚め、朝7時にルームメ-トが起き出してきたときには事態は最悪で、私は痛みで口も満足にきけない上、洗面所の中から出ることさえできない状態にあった。ちなみにルームメートはパキスタン人の看護婦さんである。「なにか辛いものでも食べたんじゃないの」と言い、うなずく私をみて、コップに白湯を入れてもって来た。そのなかに何度も指をつっこんで温度をはかった後、私に手渡しながら「これを飲んで落ち着くまでそこにすわってなさい」とこともなげに言い、大声で笑いながら自分の部屋に引きあげていった。とにかくこの状況においては、共同でつかっていたバスルームを私が半日以上も占拠していることに一言も不満を言わないでくれたのが何よりもありがたいことであった。

 この出来事がまるで象徴となるかのように、ハワイでの経験は、大学でも私生活においても、ただただ荒っぽいものが多かった。大学生活において言えば、そもそも日本ではすでに論文を発表し学会発表などもしてすっかり一人前の学者気取りでいたところへ、いきなり手取り足取りの学生扱い。すでにフィールドワークも何度か経験し自分でデータを集めその分析も行っていたのに、修士課程の基礎科目をまず終えなくては博士課程の専門のクラスは何もとれないという。基礎科目はすべて、 日本で学部の三年生のときに終えたものと同じタイトルで、言ってみれば、作文で賞をもらって得意になっているところへ、文字の書き方の授業をとらなくては先に進めません、といわれたようなものだ。授業に出てみれば、毎日毎日、まるで小学校のように出される宿題の山。この段階で嫌気がさしていてもおかしくない、というのは今振り返って思うことで、そんなに強く抵抗した記憶もないのは、生活のあらゆる面で新しい環境に慣れるのにただただ忙しく、よく考える暇がなかった、というのが本当のところだろう。とにかくコピー一枚とるのでさえ、日米で用紙のサイズが違うため、原稿が思ったとおりの位置におさまって機械から出てきてくれるまでに相当の努力を要し、何度かんしゃく玉を破裂させそうになったことだかわからないのである。

 新学期、どちらかといえば多少の失望の中ではじまったハワイ大学での講義は、けれども、いったん素直に学生にもどってみれば実に学ぶところが多かった。日本とアメリカでは同じ言語学とはいってもかなり取り組み方が違う。日本では(英語研究の分野をのぞいては)記述的な研究が主であるが、アメリカでは理論的な研究が多い。だから基礎科目の聴講は、結局それまでに欠けていた知識を補ってくれることになった。またこれは、演緯的に考えるか帰納的に考えるか、という違いでもあり、それまでとは異なる視点から対象言語の分析を行うこともできるようにもなった。

 だが、私の場合何よりも大きかったのは、大学教育そのものに関する認識が180度変わったことである。まず、コース全体のカリキュラムがしっかりしているから、とりあえず必修の基礎科目を終えれば言語学の基礎全般がきちんと身につくようになっている。それから、講義の一時間一時間が、一分たりとも無駄にはしないよう丹念に準備されているのに驚いた。だから授業が「おもしろい」のである。もちろん「いいこと」の恩恵を享受するためには学生も楽をしていてはだめで、相当数の課題をこなし、積極的に授業に参加することが要求される。毎回コメントが入って真っ赤になってかえってくるレポートを何度も書き直すうちに、論理的な考え方やきちんとした論文の書き方が身についてくる。考えてみれば当たり前のことだけれど、要するに大学は「教育機関」なのである。学生は、確かに自分だけでも伸びるけれど、ちょっと添え木をしてあげれば吸収がよくなり成長がはやい。結果としていろいろなことに目をむける余裕ができて視野が広くなる。日本の研究機関への就職が決まっていた私にとって、ハワイでの経験は、単に学生として知識を身につけるだけでなく、教育する側に立っ者の視点で日本とは異なる形態で行われる授業をいくつも観察するよい機会でもあった。

 さて、調査や学会出席のために海外を飛び回っている今でも、一度東京にもどればやっぱり生来の出不精で、研究室から出るのが嫌さに毎朝早起きして弁当を用意する。でも、最近の私のお弁当にはタイ風のグリーンカレーやオリジナル生春巻きが入っていたりするようになった。 ハワイで送っていためりはりのある生活は日本ではやっぱり無理で、よく夜中まで研究室でコンピューターの前にすわっていたりするけれど、仕事もときには早くきりあげてコンサートを聞きに行ったり読書に時間をとるようになった。E-mailのメールボックスは、常にハワイで知り合った友人から世界各地の話題でにぎわっている。そして、大学での講義はもちろんアメリカ式で、課題をたくさん出すかわりに、学生ひとりひとりに気を配って指導している(つもりだ)。単に自分の専門である太平洋言語の研究拠点であるということ以外、なにも知らないではじめたハワイ大学での2年間の生活は、予期せず私の研究内容から日常生活にいたるまで、さまざまな面に大きな変化をもたらすことになった。そして、私の授業を聴講した学生たちが、先生の授業は一番厳しかったけど一番おもしろかった、と、卒業してからわざわざたずねてきてくれたり、主催した研究会について高い評価をいただいたり、国際学会で海外の研究者と議論したりするたびに、 ハワイで私が学んだものに、そしてその機会を与えていただいたことに、しみじみと感謝するのである。
 そして最後にあのメキシコ料理店。この間ハワイに短期間帰ったとき、 5年前のあのとき一緒に食事をしたメンバーの一人から、もうずいぶんまえに閉鎖されたと聞いた。理由はもちろんわからない。私のおなかの方はといえば、こちらはなかなか学習が遅いらしく、新しい土地を訪ねるたびに相変わらず機嫌を損ねてばかりいる。

出典情報
Japan-Hawai‘i vol. 18: 23-24. Japan-Hawai‘i Economic Council.
Correspondence from a Crown Prince Akihito Scholar. Japan- Hawai‘i 18: 23-24.
Japan- Hawai‘i Economic Council.