KIKUSAWA Ritsuko

散歩道(エッセイ集)

民族のこころ(120) ハワイの「伝統」

 1994年7月、ハワイ大学留学のためにホノルル空港に降りた私は、思いがけずふたつのレイによる歓迎をうけた。一つはスポンサーである奨学金委員会から、もう一つはホストファミリーから。出迎えてくれた紳士達が慣習どおりほっぺにキスしてくれたかどうかは、レイそのものによほど気をとられていたらしく覚えていない。ただし、二人ともカマ・アイナー地元のひとーであったことを考えると、レイだけただかけてくれたとは考えられないが。ちなみに、出迎えてくれたうちの一人は日系三世、もう一人は本土出身のアメリカ人で、ホストファミリーの奥さんはフィリピン出身だった.

 ハワイには人種的にも民俗的にもさまざまな人が住んでいて、よく「多民族社会」と呼ばれる。アジア系のひと、ポリネシア系のひと、白人、黒人、そして当然、ふたつ以上の「人種」を祖先に持つひとたちもたくさんいる。また、ハワイ生まれのハワイ育ちで一歩もハワイから出たことのないひと、子どものときにハワイにきたひと、おとなになってからハワイにきたひと、さまざまだが、みんなカマ・アイナで、そもそもこの社会では「ちがうことがあたりまえ」なのである。ハワイの文化や習慣についても事情は同じで、たとえばハワイでは、合衆国本土とはちがって家に入るときは靴を脱ぐのが普通だが、これは日系移民が持ち込んだ習慣だと言われている。ちなみにポリネシア系ハワイ人の文化にはそもそも「靴をはく」という習慣がなかった。プライバシーや法律に関する感覚は「アメリカ的」なのだけれど、人に対する気のつかいかたは「アジア風」に間接的であったりする。要するに、生物学的にも文化的にもさまざまなものが融合して形成されているのがハワイという社会であり、いろいろな文化・習慣を柔軟に受け入れてきたことこそがハワイの「伝統」なのである。具体的な文化事項をとりあげればその出自はまだたどれることが多いものの、社会の成員が、異なるいろいろなものを総合して共有していること、それこそがハワイの文化であると私は思う。

 レイを贈る習慣は、そんなハワイ文化の代表といってもいいかもしれない。ポリネシア系ハワイ人はもともと羽毛や葉、貝などでレイをつくる習慣を持っていたが、 19世紀に本格的にはじまった各国からの移民とともにそれまでにはなかったさまざまな種類の植物がもたらされたことや、観光産業に裏打ちされて、花のレイがポピュラーになった。現在のハワイでは、州外からの来訪者を歓迎するときは言うまでもなく、卒業式や結婚などお祝い事のあるときにもレイをおくる。大学では、論文のディフェンスを終えた瞬間に次から次へと友人達がかけてくれるレイのなかに顔が文字通り埋まってしまう。それからハワイを去ってゆく人にレイを贈ることもある。パーティーの主賓には必ずレイが準備されるし、また、ムームーを着て正装するときにもレイをかける。ハワイにはレイをおいていないお花屋さんなんてないし、スーパーマーケットにだってちゃんとレイが売っている。ホノルル空港にはレイ・スタンドがあって10軒を超すレイ屋さんが入っている。ちなみに多くの国で労働者の日とされる5月1日は、ハワイではレイ・デーで、多くの人が一日レイをかけて過ごす日だ。

 さて、はじめてホノルル空港に降りたってから数年、自分自身もレイを持って空港に向かうこと十数度。ある日、 ハワイアン・ミュージックのコンサートに誘われて当たり前のようにムームーを着ていった私は、会場に着いてから、ムームーを着てレイをしていないのは自分だけだと気がついた。レイは安いものならたったの10ドル、されど10ドル!!この日数時間だけのためのレイを買い惜しんだ私は、東京とホノルルの往復を続けていて、やっぱり真のカマ・アイナにはなりきれないらしい。



1998.3.25 「民族のこころ(120) ハワイの「伝統」」 『通信』 30. 掲載