KIKUSAWA Ritsuko

散歩道(エッセイ集)

いろいろなひとがいるということ

 ハワイに住んでいたとき、近所の子供達が遊びにきた。その地域に引っ越して間もなかった私は質問攻めにあい、子供達はわたしが日本という国から来た日本人であることを発見した。その時私が部屋を借りていた家の大家さんは白人の男性で、地域の子供達はみな彼をグランパ(Grand Pa=おじいちゃん)と呼んでいたのだが、今度はたまたまその場に居合わせたその彼に向かって質問しはじめた。
 「グラシパも日本人なの?」
 なにげなく発されたこの質問が、日本びいきの彼をよろこばせたことは言うまでもない。私の方はと言えば、ハワイに住みはじめてからその時すでに決して短くはなかったのだが、あまりにも当たり前のように発されたこの、世界の多くの社会においては決して当たり前ではない質問に、ただただ驚嘆していた。「グランパ」と私は、その後何回、人にこの話をしたことだろう。彼も私も記述を専門とする言語学者という職業柄、一年のうち何ヶ月かは「現地」の人々の集落に泊まり込み「ガイジン」と指をさされて過ごすことが多い。だから、こういうできごとについては必要以上に敏感なのかな、と反省したりもする。けれども、日本人の子供が、例えば、韓国人と一緒に遊びに来た白人であるアメリカ人に「あなたも韓国人?」と聞いているところを想像するのは、やっぱりちょっと難しいような気がする。

 ハワイの子供達にとっては、〇〇人というのはおとなの世界で決まっている記号にしかすぎず、人のみかけは本質的ななにをも規定しない。グランパは、ニュージーランド出身のhaole (ハワイ英語でCaucasian =白人のこと)で、彼らがまだ生まれてもいなかった時にアメリカ国籍を取得してアメリカ人になったのだけれど、そんなことには彼らはまったく興味がない。彼らにとって大切なことは、グランパの家ではいつも彼らを歓迎してくれて、そこではピアノや自転車で遊べて、そして、うまくいけばジュースやお菓子にありつける、それだけなのだ。そして、こんど新しくそのグランパの家に来た、どこからどうみても日本人である私を、彼らはマム(Mom=ママ)と呼びはじめた。彼らのうちの何人かはhaole、何人かは韓国系のハワイ育ち(Local Korean)、何人かは韓国からきた韓国人(Korean)、そして何人かはニューヨーク出身の黒人を父親に持つメインランド(Mainland = 合衆国本土)生まれ、何人かはハワイ人のおとうさんとhaoleのおかあさんを持つ。そして、いつも彼らを歓迎し、時にはプール に連れていってくれたり、一緒にかくれんぼをしてくれる私達二人は、彼らの頭の中で新しいグランパとマムとしてすんなりおさまってしまったのである。

 子供達の認識はその社会におけるおとなの認識の反映でもある。グランパと私はあるとき共通の友人のパーティーに招待され、車で一緒に出かけることになった。服装が限りなくカジュアルなハワイではあるとはいえ、それなりに着飾って家から出てきた私達は、たまたま通りかかったフィリピン出身の女性に出会った。グランパと彼女はタガログ語で話しはじめ、私はそばで、ただ、にこにことして聞いているだけである。すると、不意に彼女が私の方をふりむいて、言った。「で、あなたのお嬢さんもフィリピンにいらしたことがあるの?」

 当然のことながら、こういった人々の感覚はしっかりとハワイにおける社会の状況を反映している。ハワイはよく、複合民族社会、あるいは、複合文化社会と呼ばれる。これは、ハワイではいろいろなひとが、世界でも例外といっていいくらいうまく調和して暮らしているということである。いろいろなひと、というのは、人種が多様で、民族・国籍も多様、性格、そして生き方もいろいろなひと、という意味である。結果として、異民族間での結婚も珍しくない、というよりは、社会の構成を考えるとむしろその方が自然である。ハワイのある漫画には、女の子が「私は中国系韓国系スペイン系アイルランド系日系ポルトガル系ハワイ系フィリピン系ハワイ人よ!」と言っているイラストがあるけれど、別に彼女がひとりだけ特別だから漫画になったわけではない。彼女はハワイの多くの子供達を代表してそこに登場したのである。また、子供がいる人どうしの再婚もめずらしくないから、子供達のうちの何人かが自分と人種が異なっているというのも、多くはないかも知れないけれど、けっしてめずらしいことではない。そんな社会だから、生物学的にモンゴロイド(Mongoloid)である私がコ-ケージャン(Caucasian)であるグランパの娘であってもちっともおかしくはないし、ましてや、子供たちが、日本人だとか、韓国人だとかいう分類を、ただ言葉による情報にすぎないものとしてとらえているのも、ある意味でとても自然なことだ。また、たとえば最近の若い日本人観光客よりもうんといわゆる「日本人らしい」容姿を備えたひとが、実は三世であり、日本語はまったく話さないし、もちろん日本に行ったこともないハワイ人であったりする、ということは、わざわざ書く必要もないであろう。

 ハワイに住んでいるいろいろなひとは、それぞれが異なる文化や習慣を持っている。それを象徴するのが、ところどころに見られる数え切れないくらいの教会や、神社、寺、パゴダetc.だ。いろいろなひとは、いろいろな宗教を信仰しているから、その結果としてとてもたくさんの宗教関係の施設がホノルルにあるのだと思う。また、特定の宗教を信条としない人もたくさんいるし、教会や寺のように集合する建物のない宗教を信仰している人もいるだろう。私自身は、特に決まった信仰というものを持っていないので、2年間の滞在中は残念ながらあまりそういった場所に縁がなかったけれど、友達の中には、日曜日に教会に行くひと、毎週土曜日に行くひと、それから、誕生日にお寺に行くひと、お正月に行くひと、宗教上の理由で豚肉を食べないひと、お肉やお魚は決して食べないひと、いろいろなひとがいて、とても勉強になった。

 ホノルルは、地理的な理由もあるのだろうと思うが、全体にアジア系人口の割合が高い印象がある。そのアジア系の人だけでも、東アジア、東南アジア、南アジアなど広い範囲から来ているし、そして、日本人、韓国人、台湾人、中国人、フィルピン人、ベトナム人、タイ人、 etc.と、世界地図を見て順に国名を書き写して行かなくてはならないくらい、いろいろな国の出身者が一緒に暮らしている。ハワイでは多様な人種・民族が社会を構成しているから、いわゆる差別・区別の対象になる形でのマイノリティ(minority=少数民族)の存在というものがない。いってみれば、みんなが違っているなかでは「この人だけがみんなと違う」という現象はありえないわけだ。これは同時に、社会の中心勢力として力をふるうような、多数民族が存在しない、ということでもある。だから「それぞれが、それぞれのやり方で」暮らしているし、そうなると、もうなにが「普通」で、なにが「変わっている」のかなんていうことは決めようがない。誰かのやり方が自分のやり方と違っているからといって、誰も批判したりできない。要するに、こうであるはずだ、とか、こうでなくてはならない、という枠がないのである。

 ハワイでは一般に、家に入るとき靴を脱ぐ習慣があるが(これは日系移民が持ち込んだ習慣らしい)、アメリカ式に靴を脱がないで暮らしているひともときどきいる。それはそれでいいのである。あるとき、私たちの隣の家に、カリフォルニア出身の家族が引っ越してくることになった。以前に住んでいたのは子供5人の大家族で、子供が走りまわっていた家の常でカーペットもずいぶんくたびれていたりしたものだから、私達は、新しくくる人はきっとがっかりするに違いないと、余計なお世話ながらずいぶん心配していた。さて、新しい家族が来てみるとなんてことはない、アメリカ・メインランドの習慣そのままに靴をはいたまま家にはいってしまうものだから、誰もちょっとしたカーペットのよごれなんて気にしない。なにも心配しなくてよかったのである。世の中うまくいくものだな、なんて、グランパと関心して見ていた。その後、隣の家でパーティーがあり、私は招待された人達がどうするかを観察していたのだが、何人かの人は何も考えずに靴をぬいで家にあがっていたし、何人かは家の住人のやり方をまねて、靴をはいたまま家に入っていた。

 こういった社会における多様さとその受容は、文化や習慣などといった目に見える部分だけではなく、例えば、住んでいる人達それぞれの人生設計そのものについても同じことが言える。以前にツヴァル会の会報に何度か載せていただいた「ハワイ大学キャンパス便り」のなかでも触れたことだけれど、たとえば、大学院の学生だけとってみても多様である。学部から直接大学院に進学した学生もいるし、一度職についてまた大学に戻ってきた学生もいる。子供の手が離れたからまた勉強したくなった人、逆に大学卒業後すぐ進学したのだけれど、同時にやっていた仕事の方がおもしろくなってしまって、なんとなくずるずると学生の身分がそのまま残っている人。結婚している人、独身の人、一度結婚して離婚した人、子供のいる人、いない人。背景がさまざまだから、誰も最初から、あなたは、学生なんだから、独身で、20歳台で、親に仕送りしてもらっているんでしょ、なんてことは考えたりしない。勿論、独身でなくて、20歳台でなくて、自分で稼いでいたって、誰も気に留めもしない。

 これは、日本の社会ととても違う部分だと思う。日本では、人生の型枠というものをみんなが無意識のうちに持っているところがあって、そこからはずれると社会の風当たりがとても強い。たとえば、人文社会系で研究職につこうと思うと、大学を卒業したあと大学院にすすむのが普通だし、現実にはほとんどそれしか道がないのだけれど、世間では22歳ごろになると「就職するのが「普通」だと考えられているから、その年をうんと越えてもまだ「学生」だと、世間の人はいい顔をしないのである。しかも、「学生」には、暇がある・親のすねをかじっている、 etc.etc. という固定観念がついてきてしまうから、とても厄介だ。
 私がまだ日本で大学院生だったとき、デパートに勤めていた友人の一人になにかのはずみに「あなた、学生で暇なんだから、それくらい平気でしょ」といわれたことがある。その頃私は、他の多くの大学院生同様、昼間は学校に行き、その他のほとんどの時間はアルバイトで生活費を稼ぐのに追われ、残ったスズメの涙ほどの時間で自分のペーパーを書くという生活をしていた。なにも私が他の学生に比べて特別に苦労したとここで言うつもりはさらさらない。大学院生の生活なんて、多少の違いはあっても、だいたいこんなものである。けれどもこの友人は、私が毎日朝6時前には家を出て夜10時過ぎなくては帰らない生活をしているのを知っていた上に、時には私のアパートに泊まりに来て私の生活を自分の目で実際に見ていたにもかかわらず、やっぱり「学生」に付与された一般の概念にあてはめてしか、ものを言うことができなかった。ましてや、世間一般の人にそれ以上の想像を要求するほうが無理ともいうべきものである。

 これはこれで一つの社会のあり方である。特に、日本はハワイとはまったく逆で、歴史的に人種・民族ともに比較的等質であった社会の一つだから、 「普通」というものが人々の感覚の中に存在するありかたは、その結果としてはとても自然なものだ。ただ、こういった社会では「普通」からはずれる人がとても暮らしにくい。みんなと一緒が善で、異なるのは悪、という感覚が意識・無意識にあって、ともすればみんなと一緒ではない人に対して、批判的になったり、邪険に扱ったり、ということが起こりがちだ。これは、特に現在のように個人の生き方や家族の構成、職業選択の範囲が多様化してくると、それぞれの個人にとってとてもマイナスが大きいし、結果として社会全体にとってもマイナスである。

 ところで、「日本人はなにかというと自分達をユニークな(unique=独特の、他と違った)存在であると考える傾向があるらしいね」と友人に言われたことがある。言われてみれば、日本人は日本語がとても変わった言語であるように考えがちだし(世界中の言語を視野にいれると、もちろん本当はそんなことはない)、自分達が持っているいわゆる「伝統文化」も、他に類を見ないものだと思っている面もある。比較の対象が日本とまったく異なる種類の歴史的背景を持つ合衆国に偏りがちだった時期があったので、余計にそんな風に感じるようになってしまったのだろう。先に述べた均質を前提とする社会意識も、日本だけに特有のものではない。私はむしろ、伝統的に等質性が高かった社会なら、どこででも当たり前に見られることなのではないかと思っている。

 フィジーのある村に言語調査で滞在した時には、とにかく外部の人間の出入りがまったくない地域であったから、村人にとって、肌が白く(彼らからみれば日に焼けていたって私の肌は白いのである)、髪が縮れていなくて、もう大人だというのに小柄な私はとにかくものめずらしい存在であった。村のどこに行っても人の視線を感じるわけで、水源からパイプを引いただけの簡単な水道でシャワーを浴びようとすると、村のみんなが遠巻きにして見ている。あのガイジン (kaivavalagi) はどうやってシャワーを浴びるのだろうか、自分たちが普段使っている、お湯も出ず、囲いもないパイプでちゃんとシャワーを浴びることができるのだろうか、興味津々なのである。もうこうなると、すそをちらっとめくって愛敬を見せるなどというサービスをするどころではない。とにかく、身体に巻き付けたサローン(na isulu)がずり落ちて大サービスになってしまわないようにするだけで、精一杯なのである。
 フィジーのこういった村では、普通、限られた数の人間が毎日顔を突き合わせて暮らしている。したがって、日常この村に住んでいない人間が出入りすれば、たちどころに村中の人々の目についてしまうし、それが見た目まで違う「ガイジン」ならばなおさらである。さらに、先程とはまた別の、私がよく調査に入る村は三つの父系親族のグループ(mataqali)から成り立っているのだけれど、これらも遡ればどこかでつながっていたらしい。つまり、普段の生活が完全に「身内」だけで成り立っているのである。だから、見た目だけでなく、文化・習慣が明らかに違う国からきた人間が地域に入ってくる、というのはとても特別なことなのだ。私がタロだとか、パンの実だとか、魚など自分たちと同じものを食べているだとか、川に洗濯に行ったらついてきて一緒に洗濯してる、とか「自分達と同じ」ということを見つけて喜び、安心もし、そうすることで徐々に仲間意識を持ちはじめるのだろう。この村にこういう「ガイジン」が滞在したときは、パンしか食べないからとても苦労したよ、もうお断りだ、なんていう話を、うんと親しくなってから聞いて、その時になってはじめてひやっとしたりする。フィジーでは余程親しくならないと相手の本音を聞くことはできない。本音と建前を使い分けるという、その場その場を穏便に切り抜けるための社交上の知恵だって、別に日本の専売特許だというわけではないのだ。日本文化は「察しの文化」だなどということが言われることもあるが、これだって社会を構成する人々が共通の背景を持っている場合には自然なことだ。初めてフィジーの村に約3週間滞在した時には、言葉以外の部分でのコミュニケーションがなんとなく日本でのそれと似ていて、なんだかとても気が楽だな、と思ったのを覚えている。

 伝統的な日本の社会ではみなが黒髪、黒い目を持っており、人々は各地域社会で、みな同じような経歴を持ち同じ背景をもって暮らしていた。そういう意味では、伝統的な日本の社会構成は、フィジーのそれととても似ているし、その結果お互いに類似点を持つのは当然だと思う。アメリカは、ハワイほどではないけれど、それでもいろいろな人が集まってから時間が浅い国である。だから文化・習慣の面でもそういった社会状況を反映するような性質を持っている。アメリカだけを比較の対象としてしまうと、相違点ばかりが目立ってしまって、何だか自分達だけ、とても違っているように感じてしまうのは当たり前だ。

 ところで話はまったく脇道にそれるが、みんなの髪や日の色が異なる社会で暮らしてみてはじめて、なるほどな、と思ったことが一つあった。海外の小説を読んでいてよくある、髪と目の色による人物描写のことである。あるとき、大学の別の学部の先生の話になり、話題になっている人物がどの人なのかすぐに浮かばなかった私に、友人の一人が言った。「あの背の高い女性の先生よ。髪がとび色で目がグレーの。知らない??」それに答えて私は言った。 「ああ、あの、いつも髪をこういうかたちに(手で髪型のまね)まとめている人??」日本人だと髪型、髪の長さなどで描写することが多い。いつも髪をおさげに編んでいるコ、とか、肩くらいの髪の人とか。上の友人の発言の中で、私にとって具体的な情報となったのは、 「背の高い女性の」という前半部分だけであったらしい。その後、フランス人の友人が、服装や気分に会わせて毎日髪型をかえているのに気付き、なるほど、確かに髪の色の方が情報としては安定しているな、と思ったり、また、逆に、日本人はあまり髪型を変えない、ということなのかな、と思ったりした。
 グランパの目の色が青であることにふとしたきっかけで気付いたのも部屋を借りはじめてから何ヶ月もあとになってからのことで、これにはグランパもとても驚いていた。人間の目は、見ているようで、実はいろいろなものを見落としているらしい。

 さて、ハワイの子供達のように、まわりにいつもいろいろなひとがいる、という環境で育ったらならいざしらず、日本のように均質な社会に慣れていると、いろいろなひとがいる、ということが頭ではわかっていても、感覚で慣れるのはとても難しい。いろいろなひとがいる、ということは、私達はときどき、自分にとって慣れていないものに出遭わなくてはならないことがある、ということだ。言語の調査のために太平洋の島の村に入ってかならず起こるのは、赤ちゃんが私の顔を見て泣き出す、ということ。顔が白く、平たくて、髪がまっすぐな私は、赤ちゃんにとっては見慣れないもので、それこそ生まれてはじめて見るものだから、ただびっくりしてしまうのだろう。この間、大学時代の日本人である友人と話していたら、彼の子供は眼鏡をかけた人がたずねて来ると泣き出してしまうそうで、メラネシアの子供達が私を見て泣き出すのとちょっと似ているかな、と思ったりした。もし、彼自身が眼鏡をかけていたら、そんなことは起こらないに違いない、と私は勝手に推測している。おとなは、さすがに慣れないものをみて泣いたりはしないけれど、だからといって、なにがきたって平気というわけにはやっぱりいかない。
 バヌアツのマレクラ島というところで言語調査をしたことがある。私は、酋長の家にお世話になり、家族が使っていた「家」の一つ(その酋長の「家」というのは、部屋の代わりの小さい「家」がいくつか集まって一世帯となっているものである)に寝起きさせてもらっていた。「客間(客家?) 」というものが特別にあるわけではないから、昼間は私以外の人も出入りする。あるとき、隣の村から帰ってきて、なにげなくこの「家」に入ってびっくりした。村の青年たちが何人も、ちいさなスペースで折り重なるようになって午睡をしていたのである。床一面がその青年達の滑らかな黒い肌の色でいっぱいになったその部屋の色と、ちいさな窓から差しこんでいた太陽の光とのコントラストは、今でも私の記憶のなかで鮮明だ。もし、これが、私が見慣れた肌の色を持つ、東アジア人の青年たちだったらどうだっただろう、と思う。予期しなかったところで突然人を見て、やはり驚きはしただろうけれど、これ程、強い印象を受けただろうか。

 一度、わかってしまえばなんでもない現地での習慣も、それと気付くまでは前触れもなくいきなりくるから余計にびっくりしたり、抵抗を覚えることが多い。これもまた、マレクラ島での話であるが、その島について知り合った人にまず最初に聞かれたのが、「おまえはマダムか、マドモワゼルか(Vous êtes Madame ou Madmoiselle?)」ということだった。つまり、既婚か未婚か、ということである。これは、日本ではともかく、もし、たとえばアメリカで女性に知り合って、いきなりこんなに「パーソナルな」質問をしたら失礼にあたることこの上ない。ところが、このフランスの影響を受けた社会では、女性に対しては、代名詞がわりに「マダム」あるいは「マドモワゼル」という言葉を使うものだから、マダムとマドモワゼルのどちらを使うべきであるのかがわからなければ、会話そのものが成り立たない、というより、そもそも話がはじめられないのである。これは、言語が社会の認識に影響を与える例のひとつかもしれない。そういった社会背景を理解していても、やっぱりMs.で一生通る英語圏に慣れてしまった者にとっては、まだ名前をおぼえてもいないうちにいきなり既婚未婚を問われてびっくりしなくなるまでに、やっぱり時間がかかってしまう。それじゃ、離婚した人はまたマドモワゼルにもどるのかな、なんて余計なことを考えることができるようになったのは、うんと後になってからだった。

 いろいろなひとに出会って、驚いたり、感心したりするのは、自然なことだ。問題になるのは、そういった「違う」という感覚による認識に、しばしば事実の裏付けのない評価が抱き合わせになる時だ。
 フィジーで知り合いの人達と食事に行った。みんな日本人である。あまりお行儀のよくない話だけれど、男の子たち(といっても、みなもうおじさんと呼んでもおかしくない年ではあったのだが)がかわいいウェイトレスを見つけた。 「あの子、目が大きくて素敵だね。」すると、突然、一緒に食事をしていた女性の一人が私に言ったのである。「調査とかしてて、ああいう大きい目で見られると、こわくない?? あの目で見られると、やっぱり人喰い人種の目なんだな、って思っちゃう。」 【ツヴァル会の性格上この文章は多くの太平洋からきた人達の目に触れるだろう。私は、この、不用意な一日本人の発言について、そしてそれをこの場に書くことについて、あらかじめここで謝罪すると同時に、これは決して日本人による一般的な発言ではないのだということを記しておきたい。】日本人の目は、一般に細い。くるりんとした大きな目を持っている人と話していて、違和感を覚えたとしても、それは自然なことだ。でも、だからといって、この発言は妥当なものだと言えるだろうか。この人の認識には、少なくとも二つの問題点があると私は思う。一つは「食人」と歴史的に記述されていることに対する客観的な知識の不足、あるいは、客観的な知識を得ようという努力の不足。そして、自分にとって見慣れていないものを、その不適当なマイナス評価に結びつけていること。この人は、いろいろな国の中で暮らすことが多い外交官だっただけに、わたしは、とてもとても腹が立ったし、がっかりした。
 これに似た発言だけれど、逆に私がすんなりうけいれることができたのは、私が今勤めている研究所の研究員によるものである。「フィジー人って写真をみると(からだが)大きくてこわいような感じがするけれど、実際に現地に行って直接話をしたりすると、きっと楽しいんでしょぅね。」そうなんですよ。とてもいい人たちなんです、外からきたお客さんをとても一生懸命もてなしてくれるし、おとなでも子供みたいに無邪気に笑うことがよくある。でも、やっぱり肌の色や、身体の大きさが私達とはちがうから、ただ写真だけで彼らを見たときに、こわいな、つて感じるのもよくわかりますよ。フィジーの人達が写真をとるときに緊張して、かたくなってしまうことが多いのも、そんな風に見えてしまう原因かもしれませんね。――この人は、自分も中東へ行って調査をするから、フィジーの人にこそ慣れていないけれど、いろいろなひとがいるということを感覚でわかっているんですね。

 そして、いろいろなひとがいることを受け入れる、ということは、誰にでも同じように接する、ということでも、ない。これがちょっと、難しいところだ。例えば、日本語が話せない相手と話す時に、日本人と同じように接するのだなどと言って、ひたすら日本語で話しつづけるようなことは、誰もしないだろう。カタコトでも英単語をつなげて、相手のカタコトの日本語とあわせて、どうにか会話を成立させようとするに違いない。言葉だけでなく、相手の持っている文化や習慣の背景に応じて、自分の方もまた調節しなくてはならない。人と人とのコミュニケーションは、二人の異なるひとがいて、その二人が意思疎通をしようとしてはじめて成り立つものだから、最後にはどれだけ自分と異なるひとの立場を思いやることができるか、どれだけ豊かな想像力を持っているか、にかかってくるのかな、と思う。それは、何も相手が明らかに自分と異なる背景を持つ場合だけではなく、似た背景を持つ(と仮定しがちな)日本人同士にだって言えることだ。現在、日本の社会は、様々な国から来る人々を短期・長期で受け入れることについて選択の余地がない状況であるし、その数が急にこれまでになく多くなったものだから、それにともない様々な問題が出てきている。けれども、いろいろなひとを受け入れる体制が少しずつ整っていく、ということは、結果的に、日本社会で育った多様な人々にとっても住みやすい社会になっていく、ということだと思うから、現在の状況に社会全体が丁寧に対処していくことができれば、結果として得られるものは大きい。そんな中で、いろいろなひとたちの橋渡しをするツヴァル会のような会の存在の意味はとても大きいと思う。

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 太平洋の島々を結ぶツヴァル会も、会長の山崎さんはじめ事務のかたがたのご尽力のおかげで今年で10周年とのこと、とても嬉しく思います。会のますますの発展を祈りつつ筆をおきたいと思います。

ハワイについての参考文献
ハワイの伝統社会とその変容、歴史などについては、山中達人著『ハワイ』(岩波新書)がおすすめです。また、高峰秀子・松山善三著の『旅は道連れアロハ・ハワイ』 (中公文庫)も、現地の様子がよくわかる、とても読みやすい本です。ハワイ英語(Pidjin)について手軽に知るには、Pidgin to da max、その続編のPidgin to da max Hana hou! (いずれもThe Bess Press)などが楽しく読めます。Pidgin to da maxは、日本語訳も出ています。



1996 『VASA LANUMOANA 10周年記念誌』 pp. 57-64. 掲載