KIKUSAWA Ritsuko

散歩道(エッセイ集)

一枚の小切手

 マダガスカルの地方の村の、そのまたはずれにある水田に囲まれた小さな集落は静かな日曜日を迎えていた。午後の眠気をおしてデータ整理をしていると。

 すこし離れたところで話し声がする。歩いてまる一日かかる奥地の村から親戚筋のおじさんが訪ねてきたらしい。「外国人」とか「お金」とかいう言葉が耳に入りはじめた。私のこと、話してるんだろうか。途上国の調査では「豊かな国からきたガイジン」という自分の立場に片時も心が安まることがない。お礼を払いすぎても少なすぎても噂になるし・・・などと、いつものどうどうめぐりが心の中ではじまった私の小屋の前で突然、「リツコに聞いてみたらわかるんじゃない」という大きな声がしたと思ったら、「ごめんくださ~い」という呼び声がした。顔をあげると調査のときにいつも世話になる家の奥さんがひとりで戸口に立っている。「おじさん、どうかしたの?」と思い切って聞いてみると。

 おじさんは、少し前にフランス人の荷物を運ぶのを手伝った。重たい荷物をかついで山をいくつも越える、とても大変な仕事だったらしい。ところが賃金を払ってもらう段になると、現金を充分持っていないからといって、お金に交換できるという紙を渡された。おじさんは大金みたいに思って後生大事にかかえてるけど、だまされたんじゃないかしら。トラベラーズ・チェックとかいうらしいんだけど。ここで私は思わず言ってしまった。「本物のトラベラーズ・チェックならお金に換えられるはずだけど?」

 てきぱきタイプの奥さんは、じゃ本物かどうか、ちょっと見てもらえないかしら? といいながら返事も聞かずに飛び出していったが、すぐにもどってくると、おじさんが持っていっちゃったみたい。なんせ肌身はなさず持ち歩いているんだから。私たちでさえ信用できないのね。彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべている。

 夕方になってまた訪ねてきたおじさんは、さんざん促されてようやくうなづいたかと思ったら、いきなり帽子をとった。なにごとかと目を見張っている私の前にその中から、ビニール袋に何重にもくるまれた、よれよれのフランス・フランの旅行小切手が出てきた。これ、もらってからずいぶん日がたってない?と尋ねる私に、うん、まあ、そうでもないよ、との答え。

 前世紀に発行されたフランス・フランの小切手。村のお金にすればそれなりにはなるけれど、現在のフランス通貨、ユーロになおせばコインひとつの金額。彼に何をどう説明すればいいのだろう。金額のことだけではない。この小切手にはカウンター・サインがないからそもそもつかえない。サインのことを百歩譲ったとしても、マダガスカルは、自分自身の「ちゃんとした」小切手をふりだすのでさえ身分証明書に加えて銀行の購入証からなにから見せなくては通用しない国である。どう考えてもこの小切手を換金できるとは思えない。でも私はおじさんをがっかりさせたくなかったし、話にでてくる無責任なフランス人を悪役にしたくもなかった。そこで、とにかく事実を簡単に説明したあと、しかたなしに言ってみた。「銀行で聞いてみたら? もしかしたらまだ大丈夫かもしれないし。」

 銀行があるのは大きな都市だけだ。このおじさんがそんな都市まで行ける可能性はゼロに等しいし、この持ち運びぶりをみれば小切手を他人に預ける気になるとも思えない。小切手は彼の帽子の中で生涯を全うし、夢は永遠に夢であり続けるだろう・・・。

 ところが話は思いがけない方向に展開するのである。「じゃ、来週フランスに行くとき持っていって聞いてきてくれない?」とは普段からくるくるとよく気がまわる姪ごさんであるところの隣の奥さん。そうなのだ、そもそも銀行なぞに用がある人間は、このあたりでは私だけなのである。それにフランスの銀行なら確実にお金に換えられるはずではないか。これには困った。使えるわけがないどころか、もしこの小切手の持ち主が本当に悪者で盗難届けを出していたりなんかしていたら、私がつかまってしまうではないか。「うーん。マダガスカル人だったら知らずに受け取ったといえば通るかもしれないけど、私がそういったって銀行の人は信じてくれないと思うんだ。。。」そう、これですべてがはっきりした。要するにこの紙切れは使い物にはならないのである。

 「別に金には困ってなんてないからいいんだ」と、ふだんは気の弱いおじさんが、いつになく強い口調ではじめた。「やつは荷物を運んでほしがってたし、二日がかりだったんだ。この村を金曜日の朝に出発して・・・」長い講釈のあと胸を張ってさっそうと出て行く彼の後ろ姿。私に見せたりしなければ、不思議な一枚の、使っても使ってもなくならないくらいたくさんのお金に交換できるはずの紙切れを大切に持ち運び、行く先々でこの話をして一生を終えたに違いない。

 そういえば、治療法がまだない病気の薬を日本で買ってきてと頼まれて困ったこともあったっけ。お金にはかわらない旅行小切手、夢の先進国に行ってもなおらない病気。村の小さな掘っ立て小屋に日本という国から毎年訪れてくる、知らないほうが幸せな知識。フィールドワークに出かけるたびに繰り返してきた疑問がまた頭をもたげてくる。私がここにくることは、現地の人にとってよいことなのだろうか。



2006. 「一枚の小切手」. 『まほら』 第50号, pp. 40-41 掲載

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