KIKUSAWA Ritsuko

散歩道(エッセイ集)

東京外国語大学ウェブサイト、2004
自己紹介

 2003年3月、言語調査のためにはじめてマダガスカルを訪れました。飛行時間だけで東京からパリまで13時間、パリから首都アンタナナリボまで11時間と、片道二日近くかかる長い旅でした。行った理由はもちろん、そこで話されている言語が私の専門とする「オーストロネシア諸語」のひとつだからです。オーストロネシア諸語とは、今から6000年ほど前に台湾で話されていた「オーストロネシア祖語」から発達した言語のことをいいます。話者たちは、フィリピン・インドネシアを経てポリネシア、メラネシア、ミクロネシアなどの太平洋全域に広がりました。。。ここで、あれっ、と思われる方がいるかもしれません。そうです、マダガスカルは、アフリカの東にあります。太平洋だけでなくインド洋を渡った人々もいたのです。

 言語学では、さまざまな言語を科学的に比較することで、昔どんな言語が話されていたのかを知ることができます。文字による記録が残っていない社会の歴史(先史)の研究には欠かせない分野です。私の仕事は、オーストロネシア諸語を比較し、過去を「再建」することです。考古学などの分野と協力することで、民族移動や文化交流の軌跡だけでなく、具体的な食生活や農耕技術などについてわかることもあります。音対応や単語の形を調べるとても細かい作業をしながらいつも私は、このオーストロネシア民族がした旅の雄大さに思いを馳せずにはいられません。そして彼らの暮らしに確かに存在していたはずの、言葉を比べてもわからない、地面を掘っても出てこないことたちに想像を膨らませずにはいられないのです。きかん気の強い冒険家がいたのではないでしょうか。長老たちの言うことを聞かず飛び出して、新しい航海ルートを見つけたのは彼だったのかもしれません。新しい島への移住を決めた一家は、どんな気持ちで食料を、家畜を、船に積み込んだのでしょうか。何を持っていくかについて夫婦喧嘩にならなかったでしょうか。子供たちもそれぞれきっと、小さな宝物を胸に抱えて船に乗りこんだに違いありません。。。

 太平洋の航海者たちが何日もかかって旅した道を、現在では数時間で移動できるようになりました。そして私は毎年、世界各地での学会出席や現地調査と、とても移動の多い生活をしています。でもこれも、未来の人々にとってはちっぽけなものになるのでしょうか。先日のニュースでは、合衆国からロンドンまで大気圏外を経由して30分(?)で移動できる乗り物を開発中だとか。進歩するのは科学技術だけではありません。言語学の手法もまた、より洗練されたものになっていきます。数十年、数百年後の言語学者の目に私の貢献はどんな風に映るのでしょうか。

 タイムマシンがまだ存在しない時代に生きている私は、残念ながら、ただ想像するしかありません。過去に未来に想いを馳せながら、「ことば」を軸にして廻る世界を飛び回る毎日です。