KIKUSAWA Ritsuko

散歩道(エッセイ集)

オセアニアのミズズイキ

 太平洋では確かにタロイモだとかヤムイモといった根栽作物が大事だけれど、まさか言葉が専門の私がミズズイキ(写真)のことを研究するはめになると思わなかった。ミズズイキというのは日本のサトイモのなかまに近い植物で、慣れないとほとんど同じに見える。ちなみにサトイモのなかまは太平洋では「タロイモ」と呼ばれる。太平洋におけるタロイモとミズズイキの大きな違いは、タロイモはたいていどの地域でも主要作物になっているのに対し、ミズズイキは限られた地域だけで栽培がさかんだということだ。もう少し詳しくいうと、ミズズイキはミクロネシアやポリネシアのさんご礁の島で栽培される。つまり、図1のように太平洋の島々、しかも大陸部から離れた場所に点在している。種子で繁殖する植物であれば、種が漂着したり、はたまた鳥に運ばれたりして自生をはじめる、ということもあるかもしれないが、ミズズイキの場合には株での繁殖が中心である。つまり、人に持ち運ばれて広がった可能性が非常に強いわけなのだが、それではいったい誰がいつ?という疑問が生じることになる。この疑問に対する答えをどうしたら見つけることができるのか、というのが、今回のテーマである。


太平洋にはどのように人類が居住をはじめたか

そもそも太平洋の島に、人はどのように居住をはじめたのだろうか。現在の定説では、台湾にいた人々が南下してフィリピン、インドネシアを経て東の方向四方へと拡散したらしい(図2)。ミズズイキの栽培が見られるミクロネシアへは、パプアニューギニア・ニューブリテン島付近から、ポリネシアへはフィジーからトンガ・サモアを経て人が住むようになったと考えられている。この人たちは今から1500年〜2000年前に、星や潮の流れをたよりに太平洋を航海し、どんどん移住を続けた。人々が新しい島へと移住するときには、移住先で新しい環境に適応し生き延びる可能性を最大限にするために、身のまわりにあったものすべて、とくに栽培植物の類はできるだけ多くの種類を持っていったであろうと考えられる。そのとき、船に積み込まれた荷物のなかにはミズズイキは入っていたのだろうか?これは、最初に人類が太平洋に拡散したとき、すでにミズズイキを食べていたのだろうか、という疑問に通じることになる。もしなんらかの形ですでに利用していたのなら、ミズズイキを持たずに移住するとは考えられないからである。

無文字社会のむかしを知るには

 オセアニアは伝統的には口承伝承社会で、「書く」習慣が入り、まとまった資料が現れはじめるのはヨーロッパからの宣教師が現れはじめる19世紀のはじめになってから。けれども、高度の航海技術が発達していた、とか  社会が築かれていたオセアニアの過去の遺産について知ることは、やっぱり大事である。ところが記録はない。したがって、オセアニアの先史に関する研究者も使える手段はすべて使って研究を進める。新しい地域に移住した人々が、おそらく使えるものはすべて使って生活を続けたであろうのと、ちょっと似ているかもしれない。そしてこれにはいろいろな研究分野が関係してくる。たとえば、考古学では、地面のなかに埋まって保存されていたものに基づいて、ものの存在と年代に関することを調べることができる。生物学では、遺伝子の比較などから、どの生物がどの経路で広がったか、についての仮説を立てることができるかもしれない。これらに加えて、一般にはよく知られていないが、言語学という言葉を研究する分野でも、実は人々の昔を知る分野がある。この分野を比較言語学、または歴史言語学という。
 比較言語学はヨーロッパやインドの系統関係から始まった分野で、一般的には、古い文献にもとづいて研究をすすめるのがよく知られている。ところが世界には、口承伝承による記録が主であった地域もたくさんあるので、そんな地域の言葉を対象とした比較言語学は同じ分野の研究でも様子ががらっと変わる。文字による記録のない先史社会を対象とする場合には、行ってみれば「ことば」を対象とした考古学である。今話されている言語のなかに埋もれている過去の記録を掘り起こす作業をするのである。

似た語の存在とことばの近縁関係

 それでは比較言語学の手法を用いてミズズイキを示す語を見るとどうなるのだろうか?実は、ある植物を示す語を比べるという試みは、なんら新しいものではない。ミズズイキに関して言えば、民族植物学者バローが1956年に図2のような資料をつくっている。
ここで言語学の観点から最も注意する必要があるのは、言葉に基づいて単語のルーツを探るときには、「形が似ている」というだけでは不十分だ、ということである。二つの言語における形が似ている語の存在は、その言語の関係についていくつかの異なる示唆があり得る。まず、偶然の一致。言語音は無限ではないので、ある意味を示す語が二つの言語でたまたま同じ、ということはよく起こる。たとえば、日本語で海の貝のことを貝というが、フィジー語では淡水貝のことをカイという、といったようなものであるが、これは二つの言語でたまたま同じ(あるいは似た)音を似たようなものを示すのに使われている、という例である。次に、恣意的ではない音を描写する語。オノマトペや動物の鳴き声の描写などのように、音があるものの名前の場合には、聞こえる音に基づいて語形が決まることが多いため、異なる言語間でも同じような単語になることがよくある。次に、借用語。これは、先に述べたように、外国語などから単語が入ってくることによって起こる。日本語には英語からの借用語が非常に多く、当然、これらの単語は英語のそれと非常に似た形になっている。最後に、以上のいずれでもなく、偶然の一致では起こりがたいほど語形と意味の一致が多い場合に、近縁関係にある可能性を考える。近縁関係にあるとは、つまり、先祖を同じくする言語であるかどうか、ということである。変化を続けるのは言語の基本的な性質であり、もともと同じ言語であっても話者のグループが分かれれば、分かれた時点から別の方向へと変化がはじまる。これが何年もたつと、なんとなく似てる面はあるけれども互いに通じない言語どうしになる。二つの言語に似た語がたくさんみられるのは、もともとは同じ言語であったものが変化したその名残だと考えるわけである。  ちょっと話が難しくなったが、では、この事実がズズイキのルーツ探しにどう関わってくるのかというと、まず、似た単語が多くの言語に見られる場合、その事実だけでは、ミズズイキがどう伝播したかについて何も結論づけることができない。似た形の単語がいろいろな言語に見られるのは、最初にこの地域に入ってきた人たちが持ってきたものだからなのか、それとも人々がこの地域で生活を始め定住したあとで、ある地点から持ち込まれたときに名前が一緒に入ってきたのか、については、比較言語学における専門的な分析をする必要がある。植物学者バローは、よい研究者ではあったが、言語学者ではなかった。ミズズイキを示す語の分布に基づき、「ミズズイキ」は最初にフィリピンから東へと移住した人たちがミクロネシアに持ち込み、さらにポリネシアまで伝わった」と考えたが、これはあくまで印象に基いて出された結論で、言語学的な観点からの再検討が必要なのである。

ミズズイキを示す語を「発掘」すると?

 それでは「言語学的」に単語を比べるというのはどうすることなのか?ごく簡単に言ってしまうと、各単語に現れる「音の対応」を調べるのである。同じ言語から発達した複数の言語には、音の対応が規則的にみられる単語がたくさんある。たとえば、Aという言語で t の場合、Bという言語では必ず k だといった具合である。比較言語学者はこのような音の対応を調べて表にする。似た単語が複数の言語に見られるとき「音の対応」が、この表と同じだっていたら、共通の祖先である言語の時代から受け継がれた単語である可能性が高い。つまり、太平洋の場合には、最初に居住した人々がすでに持っていた単語であると考えられる。逆に「音の対応」が違っていたら、最初からずっと持っていたというわけではないようだから、いくつかの可能性はあるのだが、人々が定住してから入ってきた単語である可能性が高いと考える。このようにすれば、オセアニアの言語にみられるいろいろな単語が示すものが、人々が居住をはじめた最初から太平洋にあったのか、あるいは、もっとあとになって持ち込まれたものなのか、がわかるのである。  近年、オセアニア言語学の研究界では太平洋で昔使われていた単語を再建しようという試みが盛んになっており、ミズズイキもその対象になった。そして、三人の言語の研究者が三人とも、ミズズイキはオセアニアに最初に居住をはじめた人々が持ち込んだと仮定して研究をした。ところが、この大切な「音の対応」が実は一部の言語で違っており、この三人はそれぞれ異なる理由づけをしている。これは、研究者の間で合意が見られるほどきちんとした理由づけができていない、ということなのである。それでは、ミズズイキが最初に居住をはじめた人々が持ち込んだ、という仮定そのものが違っているのではないだろうか。これをきちんと見ていくとどうなるのか。
 ひとつひとつの音の対応の詳しい説明などは省略するが、結論は次のようになった。
 なお、関連事項として栽培法やピットに関する語についても「発掘」を試みたが、残念ながら系統だって仮説を立てられるものは得られなかった。逆に言えば、ミズズイキの栽培がオセアニアに最初に居住した人々に持ち込まれたのではない、ということの裏づけにもなる。もしそうであれば、栽培方法も伝わったはずで、それに関する用語がもっと広範囲に見られてもよいからである。

考古学と生物学におけるミズズイキの先史

 言語学に基づいてたてられた仮説は、他の研究分野での成果とどのように関係してくるのだろうか。考古学では、
一方、生物学の分野では、ミズズイキの栽培種と親縁関係にある野生種の分布(図)まではわかっているが、そこから現在の栽培種との関係を結びつけるにはいたっていない。
したがって、言語学での成果を積極的に裏づけはしないが、矛盾する面もない、というのが現状である。

そしてミズズイキはいま

 このように、太平洋で人類史が始まった後、ある時期に持ち込まれ、一部の地域では重要な作物となったミズズイキ。
ミズズイキのことがわかって何になるのかって?それは、オセアニアの人々の先史におけるストラテジーという大きな大きな文脈のなかの一端を垣間見ている。
 えっ、肝心の「味」の方は、ですって?聞くところでは、独特のエグ味があり、これをとるために何時間もかけて調理するという。確かに、簡単においしく調理できるものであれば、さんご礁の島々以外の地域でももっと栽培されていてもよいはずだが、実際にはフィジーなどでは食用にできることは知られていても「飢饉食」と考えられており、ミズズイキを日常的に食することはない。これまで火山島での調査しか行っていない私は、実は、ミズズイキを食べたことがないのである。というわけで、おいしくてもそうでなくても一度は自分の舌で味わってみたい、と、ミクロネシアを訪ねる機会がくるのを心待ちにしている。

「主食タロイモはどこから?先史オセアニア 言葉からルーツ追う」として掲載