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関雄二アンデス考古学研究室


マチュ・ピチュ遺跡を守るとは?

関 雄二

マチュ・ピチュは、15世紀の後半から16世紀の前半にかけて南米ペルーで栄えたインカ帝国の代表的な遺跡であり、ユネスコの世界文化・自然複合遺産に登録されている。

遺跡と麓の村とを結ぶ観光客輸送用のロープーウェイを建設するという話が現実味を帯びたのは1998年のことであり、それまで計画はユネスコに知らせず進められてきた。遺跡や環境の破壊を危惧した大学生や市民は直ちに抗議し、ユネスコも批判キャンペーンを張った。これに対して事業主は、「生態系に配慮し、鉄塔を緑色に塗る」などと無能さを暴露するばかりだった。最終的に政府の担当官は更迭され、改めて環境や遺跡への影響を調査することで決着した。いわばユネスコというグローバルな力が、一国の行政の暴走に歯止めをかけた健全な例といえよう。しかし、遺跡が守られればそれでよいのだろうか。

旅のスピード化による観光収入の減少を恐れる遺跡周辺の住民は、計画変更には安堵しているが、遺跡の維持管理から運営まで一切の参加が許されない現状には不満を抱いている。たしかに遺跡は、周辺住民の積極的な関与があってこそ活きてくるもので、ロマンを求めて押し寄せる観光客や考古学者だけのものではない。そういえばナスカの地上絵も、高いセスナ代を払う観光客が感動するだけで、地元の人は見たことがないという。いくら世界遺産でもそんな遺跡をただ守れという論理の方がおかしくはないだろうか。

(2004 『エコソフィア』14:80、京都:民族自然誌研究会)