ホームへ
関雄二アンデス考古学研究室


ドン・アンドレス 日本から叙勲
   -アンデス調査活動の「原点」-

関 雄二

ドン・アンドレス氏と大使
2010年8月、ペルーの日本大使館で、福川正浩大使(右)から
勲章を伝達されたドン・アンドレスことセバーリョス氏(在ペ
ルー日本大使館提供)

ドン・アンドレス。私たち日本のアンデス考古学者は、親しみと尊敬の念を込めて彼のことをそう呼ぶ。アンドレス・セバーリョス・デ・ラ・プエンテ氏は、現代ペルー美術界の重鎮であり、農民の生活を題材にした絵を描く先住民主義(インディヘニスモ)の画家である。その彼が今春、旭日双光章を叙勲された。とはいえ功労概要は芸術活動ではなく、我が国の考古学調査活動への寄与である。

日本のアンデス考古学調査団は、拠点を移しながらも今年で53年を迎えた。ここ30年ほどは、ペルー北部のカハマルカ州で、紀元前にさかのぼる神殿の発掘調査に精力を注いでいる。1979年、私の恩師、寺田和夫東大教授(当時)率いる調査団がこの地に到着した折り、文化庁支局長を務めていたのがドン・アンドレスであった。新参者の私たちは、多くの助言を彼から授かり、そのおかげでワカロマ神殿の発掘ばかりか、神殿建築の更新活動こそが社会変化を促したというアンデス文明特有の現象を捉えることもできた。

また1982年、カハマルカ盆地を見下ろす山上にあるライソン遺跡の調査で、凝灰岩の岩盤を削って築かれた希な形態の神殿を発見し、カハマルカ市民を熱狂の渦に巻き込んだことがあった。この遺跡の存在を最初に教えてくれたのはドン・アンドレスであったし、作業員の増員のために政府機関と調整してくれたのも彼であった。思えば、これが、後に私たちが手がけていく遺跡の保存と開発の最初のレッスンであったともいえる。

その後、私たちはクントゥル・ワシ神殿で、アメリカ大陸最古の金製品を発見し、地元農民が運営する考古学博物館を建てた。また、現在取り組むパコパンパ神殿でも、クントゥル・ワシに匹敵する墓が出土し、アンデス文明初期における権力者の出現過程が明らかになりつつあるが、その調査と保存計画においても地元住民との協同作業が前提となっている。研究と地元社会への還元という難しい舵取りの原点は彼との出会いに求められよう。

今年10月、帰国を前にドン・アンドレス宅に招かれ、ナチュラル・チーズ入りのホットチョコレートをごちそうになった。32年前、エクアドル調査に出発を前に、旅立つ友人へとの別れと、道中の無事を祈って振る舞ってくれたカハマルカの伝統的飲み物である。95歳の高齢を感じさせぬ抜群の記憶力と博識は、飲み物以上に私の身体を温め、精神を高揚させた。海外調査の喜びは、まさにドン・アンドレスのような人物との出会いにある。これまでの支援に感謝するとともに心より叙勲をお祝いしたい。

(2011.12.14『読売新聞』朝刊)