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関雄二アンデス考古学研究室


古代アンデス 権力の考古学自著解題

  関 雄二著「古代アンデス 権力の考古学」
  (京都大学学術出版会 2006年)

関 雄二

権力という言葉の使用は、かなり敷衍しているにもかかわらず、一部の社会科学者以外は、避けて通ってきた観がある。日本考古学でも、古代権力などという表現は、もはや日常用語としてまかり通り、この名を冠した著書ならばいくらでもあるにもかかわらず、権力そのもののとらえ方は、あまりに記述的であり、結果論的考察が目につく。

筆者が身を置くアンデス考古学、いわゆるアメリカ考古学において、近年、注目されているテーマは「帝国」であり、「権力」である。前者は、冷戦構造の崩壊後、新たな標的として登場してきたテロリズム、宗教原理主義などに対抗すべく、民主主義のグローバル化を目指し、はたまた経済的覇権を拡大しようとするアメリカ合衆国の動向を危惧する論客が挑んでいる課題であり、概念を含めて歴史的に考察されるとき、考古学もその一翼を担うことになる。むろん、他方のテーマである「権力」もこの流れの上にあることはいうまでもないが、事態は、それ以上に複雑である。

今日、我々をとりまく環境、状況では、一体誰が権力者で、どのように権力を操作し、また行使される対象はどのように反応しているのかが、非常に見えにくくなっている。グローバル化の中で、従来、機能してきた地域社会や国、そしてそれらの構成員といった枠組みを越境し、場合によっては、既存の権力母体を凌駕するほどの、新たな権力が誕生することはなかば常識化している。しかも、こうした新たな権力の交代が、戦争や征服など、体験的な現実を経ずとも、知らぬ間にわれわれの周囲で生じることさえ不思議ではなくなってきている。もちろん権力を行使されている側も、権力者が提示する道具を武器に、いつ何時、権力者として立ち居振る舞うことも可能である。

このような現代社会のスケッチを示したのは、考古学のような人文科学の学問分野とて、現実の社会から遊離して存在しているわけではないからである。むしろ、その時々の社会状況を背負いながら、つねに変化し続けてきた点は、本書序章でも指摘した通り、1950年から60年代にかけて、科学進歩主義を貫いたアメリカにおいて、進化主義的な考古学が隆盛を極めた事実からも自明である。

ならば、現在の考古学が立つべき視点とは、どこにあるのであろうか。現代社会の状況が図らずもわれわれに認識させてくれたように、権力を行使する側と行使される側との、固定的かつ単純な二項対立的なとらえ方を回避することがその一つと考えられる。今日の権力論が、従来のものと異なる視点を提供できるとするならば、まさにこの点になろうか。

先に日本の考古学分析が結果論的であると批判したのも、同じ意味からである。たとえば、巨大な古墳を目前にし、権力の存在の証だと解釈することが結果論であり、これにより、自ずと権力者と権力を行使される被支配者の間の関係は固定的にならざるをえない。一方で、巨大な古墳は、権力を生み出し、維持していくための装置であると、視点を変えてみると、権力者がいくらそのような装置を作り上げようと、権力を行使されようとする人々の、決して従順ではない、自律的反発の余地が見えてくる。こうして、権力は、せめぎ合いの中に浮上するモーメントとして生きてくるのである。結果ではなく、構築の過程に目線を移す、といってもよい。

本書の冒頭で、なぜ権力を定義せざるをえなかったかは、これで明らかになろう。権力者が、あるいは権力者にならんと欲する人や集団が、駆使しようとした手段を権力資源とし、経済、軍事、イデオロギーの3カテゴリーに大別している。この分類自体は、社会科学からの援用であるが、結果論的な記述を好む研究者も慣用的に使用している点で、現象を押さえるのにも違和感はなかろう。重要なのは、用いるときの視点なのである。

これを、さまざまな時代、地域で起きた社会発展の過程の分析に採用することで、各時代の権力者が、どのような指向を持っていたのかが、まず明らかになろう。経済を重視し、イデオロギー面への投資を抑えようとした権力者、軍事面を肥大させようとした権力者といった一般的傾向をつかむことが可能になる。さらに、それ以上に興味深いのは、同じような権力操作の傾向を持つ社会であっても、各権力資源の中で往来し、また権力資源同士を接合させる物質文化や食糧、技術は、地域や時代で大きく異なり、また生態系にも左右されている点であろう。権力者による権力資源の選択とその組み合わせは無限にあり、この分析方法を用いることで、その多様性を把握できるのである。

もっとも、考古学は、使用された権力資源をすべて観察することはできない。物質文化を構成する材質により、腐敗し、消滅してしまうものが多々あり、また口頭伝承のような文字化されないイデオロギー面をも知ることは容易ではない。その意味で、きわめて限定的な権力資源の証拠をつかむことしかできない点は改めて断っておく必要があろう。 しかし、アンデスのようなモニュメンタルな建造物を残す、いわゆる文明形成帯ではメリットもある。権力者が統合しようと試みた社会の規模が大きいと想定されるからだ。大きな社会の統合を目指そうとすればするほど、じつは、経済にしろ、軍事にしろ、またイデオロギーにしろ、操作上、一般に規模の大きな、かつ有効な装置が必要となってくる。灌漑施設であり、倉庫であり、軍事基地であり、神殿などである。これらは、演説などではまとめきれないほどの大規模な集団に強制力を行使するための可視的な装置ともいえる。文明地帯においては、社会発展過程を考古学的に追究することが有利ともいえよう。

さて、ようやく具体的内容に触れるが、本書が対象とする社会は、アンデス文明でも文明形成の母体となった形成期(前2500年~紀元前後)と地方文化期のモチェ社会である。モチェ社会が、アンデス文明史上最初の国家と言われるのに対して、形成期の場合、国家レベルに達していない前国家段階の社会と捉えることが一般的である。形成期については、筆者が30年近く、調査を行ってきたペルー北高地カハマルカ地方に位置するいくつかの遺跡を取り上げており、出土する遺物や遺構を先にあげた権力資源の痕跡として捉えることで、権力操作の姿を復元している。また、モチェに関しては既存のデータを再解釈した。

幸いにも数千年にわたる形成期については、集中発掘によって得られた大量のデータの分析を通じて、時間的細分が可能であったため、権力操作、そして権力資源の利用方法の変遷を押さえることがある程度可能になった。結果として、形成期社会には、総じて軍事に対する投資はほとんど見られず、経済的投資もイデオロギーと密接に結びつけられる形で権力が生み出されようとしていたことを示すことができたと思う。社会階層すら、この中から生まれたと想定できる。しかし、こうした状況が崩れるのが形成期末期であり、その理由としては、トウモロコシ農耕やラクダ科動物の牧畜、気候変動などをあげている。いわば、新たな文化要素が登場したことにより、権力者が、権力資源としてこれらを利用することを模索した時期といえる。最終的には、従来の権力操作の仕組みへの編入を試みながらも失敗に終わり、形成期は終焉を迎えるのである。

一方のモチェ社会は、筆者が調査対象としてきた山岳地帯ではなく、同じペルー北部ながら海岸地帯に開花した社会であり、同一地域の社会発展を考える上では、都合が悪い。しかしながら、モチェ以上に調査が行われているケースは少なく、社会発展の過程を直接結びつけないことを前提に比較を試みた。 形成期社会にくらべて、モチェ社会で目立つのは経済面での権力の操作であり、一方で、軍事に対する投資も大きい。イデオロギーに対する投資も目立つばかりか、興味深いのは三つのカテゴリーがみごとに結びつけられている点であろう。これは形成期では認められなかった特徴であり、ある意味で、国家レベルの社会において試みられた権力操作の姿といえよう。

しかし、モチェが栄えた時代、他のアンデス地域で、同じように国家が成立していたわけではない。社会発展の度合いは多様であり、しかも地域社会間の相互関係も認められる。この状況は、どのような時代を切り取ったとしても、あてはまろう。地域と時代によって複数の栄枯盛衰の姿を示す、その総体がアンデス文明と言っても過言ではないのである。

こうして本書では、権力の操作の変遷を分析し、中央集権的な社会になる過程を、ある程度提示できたと考える。しかし、ここでおそらく、読者は冒頭で主張した権力を行使する側と行使される側のダイナミズムが描かれていないことに気づくであろう。その見方は正しい。確かに、権力を行使される側の記述は不足している。これは単に記述の問題という以上に、採取データの限界に依存している。30年もの間、実施してきた考古学的調査では、今日の理論的転換が起きることは正直言って予想し得なかった。その点で、研究者としての力量不足といわれても仕方あるまい。

しかし、やや言い訳がましいが、権力を行使する側とされる側のせめぎ合いについての断片はつかんでいるつもりである。形成期社会の崩壊における、トウモロコシ農耕の導入についていえば、本書では描ききれなかった点にヒントが隠されている。近年の科学分析の発展により、人骨に含まれるコラーゲンを試料とし、炭素と窒素の同位体分析を行うことで、生前の食生活を復元できるようになった点は、本書でも触れている。これにより、形成期の後半にトウモロコシの摂取が開始されることがわかってきたのである。興味深いのは、トウモロコシの摂取量が、立派な副葬品に飾られた被葬者、すなわち権力を握ろうとした側の人物よりも、粗雑な墓の被葬者、すなわち権力を行使されようとした人物で、高い値を示している点である。ここからは、トウモロコシの導入が、権力者の知恵から出た権力資源操作ではなかった可能性が指摘できよう。

筆者が権力資源のカテゴリーを援用した社会科学者マイケル・マンによれば、権力のネットワークは、ほんの小さなものから始まり、やがてそれが拡大し、既存のネットワークを脅かす存在にまでなるという。まさにトウモロコシは、それにあたるのかもしれない。権力者が利用したこともない資源が立ち現れ、権力にひれ伏すべき人々がそれを自由に利用し始めたとき、既存の権力操作では、自らの地位を確保できなくなった権力者の姿を見えてとることもできよう。もっとも、この点は、本書では記述していないので、今後の課題として残しておきたい。

文明形成の問題は、今まさに転換期に来ていると思われる。生態学や食糧基盤に軸をおいていた従来の論議に再解釈が迫られ、新たな方法が模索されつつある。食糧は重要な要素ではあるが、その経済的側面に、あまりに偏りすぎた議論が展開されてきた。これも、日本で言えば、戦後の社会復興とともにマルクス主義的な歴史観が受容されてきた点と関係しよう。本書で示したかったのは、従来のパラダイムの転換の必要性なのである。

登山家になぜ山を登るのかと問い、そこに山があるからと答えることは禅問答的であり、哲学的かもしれない。しかし、なぜそこに文明が生じたのかと問うたとき、そこに有力な食糧基盤があったためと答えることは、部分的な解決にしかつながらない。むしろ、それをどのように権力の資源に仕立て上げていったのかに注目しなければ、文明形成の全体像は解明できないのである。

(2006 『ラテンアメリカ・カリブ研究』13: 36-39)