本研究は、近代以前の一神教文化圏と漢文化圏の人々が、身体と環境/世界/宇宙の連関を如何に想像することによって、常軌を逸脱する状況や人知の及ばない物事を理解しようとしてきたかを領域横断的に考察することを目的とする。このために、自然環境と人間の間の往還的な関係性において発動される想像力を「生態想像力」という概念で捉えたエコクリティシズムの理論的枠組みを応用し、特に、異なる身体観・宇宙観の接続点、あるいはパラダイムの転換点といった文化や時代の境界領域に焦点をあて、医学書・博物誌・天文書など、身体観や宇宙観を顕著に反映した具体的なテクストの比較を行い、文化の遷移帯における想像界の還流の実態を解明する。
本研究は、自然環境と人間の間の往還的な関係性において発動される想像力を「生態想像力」という概念で捉えたエコクリティシズムの理論的枠組みを応用しつつ、ユーラシアの人びとが、身体と環境/世界/宇宙の連関をどのように想像することによって、常軌を逸脱する状況や人知の及ばない物事を理解し、つじつまを合わせようとしてきたかを領域横断的に考察することを目的とする。目指すのは単なる文化相対化でなく、異なる身体観・宇宙観の接続点、あるいはパラダイムの転換点といった文化や時代の境界領域における想像界の還流の実態を、具体的なテクストやフィールド事例の分析と比較を通して明らかにすることである。 特に注目したいのは、近代以前の「霊的・非合理的自然観」から近現代の「数量的・合理的自然観」への遷移、つまりマックス・ウェーバーのいう「脱魔術化」(あるいはその逆の潮流である近年の「再魔術化」)の過程における生態想像力の変遷である。
近世以前、ヨーロッパや中東においては、人魚、一角獣といった不可思議だが実在するかもしれない生物や現象は、「驚異」として自然誌の知識の一部とされた。また、東アジアにおいては、奇怪な現象や異様な生物・物体の説明として「怪異」という概念が作りあげられてきた。本研究は、自然界の直観的理解から逸脱した「異」なるものをめぐる人間の心理と想像力の働きをこの「驚異」と「怪異」をキーワードに、比較心性史的な視点から考察する。
自然界のどのような現象が「驚異」や「怪異」という超常的なものとして認識され、どのような言説や視覚表象物として表れたのか、その背景にはどのような自然観があるのか、文明圏同士の知識体系の間にどのような接点があるのかといった点に注目し、ユーラシアにおける自然界と想像界の相関関係の歴史的変遷を、学際的・多元的視点から究明する。
「驚異」marvelous や「怪異」uncannyは、現代における自然界には存在しえない現象を描いた幻想文学、いわゆるファンタジーの部類に入るとみなされる。近代的な理性の発展とともに、科学的に証明のできない「超常現象」や「未確認生物」はオカルトの範疇に閉じ込められてきた。しかし近世以前、ヨーロッパや中東においては、犬頭人、一角獣といった不可思議ではあるがこの世のどこかに実際に存在するかもしれない「驚異」は、空想として否定されるべきではない自然誌の知識の一部として語られた。また、東アジアにおいては、実際に体験された奇怪な現象や異様な物体を説明しようとする心の動きが、「怪異」を生み出した。 本研究会では「驚異」と「怪異」をキーワードに、異境・異界をめぐる人間の心理と想像力の働き、言説と視覚表象物の関係、心象地理の変遷などを比較検討する。
本研究が対象とする「驚異譚」とは、ラテン語でmirabilia、アラビア語・ペルシア語でajāʾibと呼ばれる、辺境・異界・太古の怪異な事物や生き物についての言説である。未知の世界の摩訶不思議を語るこのようなエピソードは、東西の歴史書、博物誌・地誌、物語、旅行記・見聞記などに登場するが、これらの多くは古代世界から中世・近世の中東およびヨーロッパに継承され、様々な文化圏で共有されてきた。
本共同研究は中東およびヨーロッパの文学・歴史の専門家によって構成されており、これらが協力して各時代・地域の「驚異譚」を比較し、伝播の過程、世界観の相違、文化交流のダイナミズムなどを次の三つの主要軸を中心として解明してゆく。