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災害移住

インド西部地震被災地カッチ県の復興・開発

災害の概要

 本研究の対象は、2001年1月26日に発生したインド西部地震(現地では、グジャラート地震と呼称されている)の震源地であり被災地であるカッチ県である。地震の規模がマグニチュード6.9の大規模災害であり、被害は、この地震全体で死者約1.2万人、家屋を失った者10万人、倒壊した村落数178、70%以上倒壊した村落数が185にのぼった。また、被災から一夜明けると、国際的な援助機関が大挙して押し寄しよせ、復興開発に携わる場所となったため、災害とその後の復興開発によって引き起こされたローカル社会の混乱や変化は大きかった。
 カッチ県の県庁所在都市であるブジ市では、死者数が2370人にのぼり、約8割の建造物が被害を受けたとされた。ブジの震災前の人口は約20万人、世帯数は3.5万であったとされる 。そのうちの2.5万世帯が、ブジの城壁内部(以降、旧市街とする)に居住していたとみられる。人口過密のため、旧市街の被害は郊外住宅地に比べて激しかった。王政時代に建造された家屋が被害を受けたが、比較的新しい建造物も、耐震基準を満たしていなかったために、被害があった。村落部の被害も大きかった。本研究の対象地であるダマルカー村は、ブジ市よりも震源地に近く、村のほとんどの建築物が倒壊した。
  • 復興途上のブジ市街

 震災後の救援、復興に対する州政府の対策は早かった。地震の当日の1月26日には死者に対する補償金のガイドラインが示された。2月8日には震災復興のための部署、GSDMA(Gujarat State Disaster Management Ahthority)が州政府内に設けられた。また、2月13日には各国から寄せられた援助金は、州政府のGujarat Earthquake Relief and Rehabilitation Fundとしてまとめられた。NGOも対応は早く、震災から2日後の28日には、Setuという団体が、グジャラート州425村に被害調査のためのセンターを設置した。
 さらに、約2ヶ月後の3月22日には、州政府によって救援の段階は終了したとされ、以降は復興にむけて州政府は動くことになった。巨額の復興援助金が、復興のために用いられることになった。グジャラート州政府によるものが、18億ルピー、世界銀行によるものが171億ルピー、アジア開発銀行によるものが33.9億ルピーである。
  • ブジ旧市街、
    イスラーム教徒の...

被災地の概要

 カッチ県はインド西部、グジャラート州に位置する。カッチは北西を湿地に囲まれ、グジャラートの大陸側と切り離された陸の孤島となっており、地理的にも歴史的にも、現在はパキスタンに属しているスィンドと関係が深かった。16世紀にスィンド出身のヒンドゥー教徒の王によって王国が建設され、カッチの住民のほとんどもスィンドから移住した由来をもっている。言語的、文化的、また衣装についてもスィンドとの近親性が高い。また、カッチは南東をアラビア海に面しており、インド洋交易の拠点の一つとなっており、アラブ諸国や東アフリカとの交易が行われていた。1947年にインドとパキスタンが大英帝国の植民地より独立すると、カッチ藩王国はインド連合に合併され、1956年にボンベイ州の、さらに1960年にはグジャラート州の一県となった。
 ブジ市は、カッチ県の政治経済的な中心地であり、県の行政のすべてが集約されている。
 ブジは、1548年にヒンドゥー王によって建設された王城都市であった。街は城壁によって囲まれ、五つの門と一つの窓があった。震災前には門のうちの四つが残っていた。小さな家々や店がカーブをえがいた道(sheri)沿いに並び、様々な大きさの辻(chok)で交叉していた。王政時代、王のために働いていた人々は、王宮の周囲にまとまって居住し、このような区分がブジの街の区分を作り上げてきた。
 ダマルカー村は、染色の産地として知られる村である。1991年のセンサスによると、広さが約30万ヘクタール、世帯数375戸、人口1,991人の村であった[District Census of Gujarat 1991:224]。この村は、1956年の地震でも大きな被害をうけたために、現在の村の位置に移転したという経緯をもつ。染色に従事しているのは、主にカトリーというイスラーム教徒のコミュニティである。カトリーは、人口が約800人、115軒がダマルカー村に居住し、そのすべてが染色業に携わっている。震災当時ダマルカー村に居住していた10家族のカトリーのうち7家族までは、同じ父系親族に属する。
  • ブジ市都市計画地図

  • 都市計画後のブジ市

  • 旧市街地図

調査テーマ

 本研究の目的は、復興過程にある被災地をローカルとグローバルのせめぎあう場として位置づけ、復興開発というグローバルな開発原理がローカル社会に何をもたらすのかについて記述し、復興開発を含む開発に対して人類学的な知見は何を提言できるかについて考察することである。本論では、復興に際して行われた移住に焦点をあてる。具体的な事例として、一つは、カッチ県の県庁所在地であるブジ市の都市開発と移住サイトの建設について、もう一つは、ダマルカー村からの住民の移住についてとりあげる。移住に焦点を当てるのは、一つには、移住が、政府、非政府による復興プロジェクトの主要なものの一つであるからである。また、二つめに、移住が、従来の街や村における居住形態を大きく変化させる原因となっているからである。
 この研究目的の背景にあるのは、筆者が、被災前の現地において人類学的調査をおこなっていたということがある。筆者は、カッチ県において、震災前の1998年から1999年にかけて滞在し、人類学的な長期フィールドワークを行った。震災後、カッチを訪れるたびに、よく知っていたはずの街や村、人びとの変貌そのものに驚かされた。カッチの変化は、単に街の概観が変わるという以上のものがあった。その変化は、災害の被害によるものではなく、むしろ災害後の復興開発によるものであった。災害人類学を提唱するオリバー=スミスらが、震災後の復興が、災害そのものよりも、被災地の社会、モラル、経済、環境などに破壊的な影響を与えると述べているように、カッチの変化は、ローカル社会において災害をきっかけとした大量の開発援助が投入されたことにあった。
  • ダマルカー村の
    村染色工房の親方

調査方法

 被災からの復興過程においては、複数の事柄が同時に起こり、また事態の変化が早いことから全体像を把握するのが困難である。政府や援助金提供団体の方針や具体的な施策、その変化やそれらを活用した復興の動きという全体を把握する必要があるが、全体像を把握することを重視しすぎると、浅薄な記述しか得られないことになる。また、行政やNGOの援助を受けずに移住を行っている人びとも多数存在するが、報告書にはそれらの人びとの復興過程については現れてこない。従って、インタビューなどにより、個別具体的な個人の復興過程を明らかにすることに努めた。同時に注意すべき事は、住民の語りのみを、事実を反映する資料として取り上げるべきではないと言うことである。そのために、個人の具体的な経験を、常に全体的な復興過程に位置づけて理解することを試みた。
 本研究のもとになった現地調査は、2006年2月5日から2月26日、2007年2月17日から25日まで、2007年11月9日から29日までの3回おこなった 。現地調査で行ったことは、政府機関と非政府組織(NGO)11団体の担当者に対するインタビューと報告書などの資料収集、被災住民に対するインタビュー、ローカル新聞『カッチ・ミットラ』資料室における、震災復興と都市計画に関する新聞記事の蒐集、記事の翻訳である。住民に対するフォーマル、インフォーマル双方のインタビューは、筆者が1998年から1999年に行った長期調査での友人、知人のネットワークを活用して行った。またインタビューは現地語であるカッチー語と英語を用いて行われた。また、ダマルカー村とその移住村であるアジュラクプール村においては、染色工房と染色用水の取水井戸の調査をおこなった。
  • アジュラクプール村の共同
    タンクで布を洗う職人たち

調査結果

 ブジ市とダマルカー村の事例には、共通点がある。どちらも、政府とNGOの援助をうけることで、移住というかたちで災害被害からの復興を行ったことであり、住民の移住が、従来の居住形態を大きく変化させ、単一のコミュニティのみが居住する空間を作り出したことである。さらに、移住の過程はスムーズに行われたのではなく、個人の人生と選択の結果の積み重ねとして、結果的に集団がまとまって居地を変えることに到ったのである。
 このような変化を、単に外からの開発援助が地域の「伝統」を壊すというようにまとめてしまうのは誤りである。そもそもカッチにおいて、移住は繰り返し行われてきたことである。干ばつの年には、牧草を求めて牧畜民は移動し、商人や職人たちは仕事を求めて海を越えていた。また、災害にともなう復興開発も、これまで何度も行われてきた。筆者の研究対象である手工芸や染織の開発も、災害復興を契機として始まった。この地域と開発とは切っても切れない関係がある。
 しかし2001年に起こった震災は、被害も大きく、また復興開発の額もこれまでに比べて桁違いに大きかった。復興開発が、大規模な移住を引き起こしたのである。この移住は、カッチの現地社会にとっては、エポックメーキングな事象であるという確信を人類学者である筆者は抱いているが、移住がいったいカッチに何をもたらすのかは現在は推測の域をでない。継続的な観察と調査が必要であると考える。人類学者の清水展とオリバー=スミスはともに、災害後10年を総括して民族誌を記した。そのために、筆者は当初震災後10年を区切りにして、社会変容を観察することを計画していた。しかし、本論を執筆しながら、10年は短すぎると考えるようになっている。人類学の同時代性とは矛盾するようであるが、人類学的知見にできることは、長期的視点を獲得することであると筆者は考える。行政やNGOといった開発をする側の主催者発表からは伺うことのできない開発復興の側面や、個人の復興開発の経験を記述することであり、それがのちの世代が、復興開発を評価、批判するときの判断材料となるのではないかと考える。
RTO移住サイトにプロットを得たカースト・グループ
カースト・グループ 戸数
ダルジー 30
ラージゴル 179
ジェティ 30
バヌサーリー 8
ソーニー 22
カンサーラー 12
マーリー 4
名称不明 89
名称不明 20
名称不明 25
名称不明 7
合計 426
[Bhada 2004]より筆者作成
ダマルカー村住民(震災前)
カースト名 宗教 世帯数
マハラージ ヒンドゥー 7
ラージプート ヒンドゥー 100
バニヤー ヒンドゥー 10
スタール ヒンドゥー 10
クンバハール ヒンドゥー 5
ハリジャン ヒンドゥー 40
コーリー ヒンドゥー 30
ソダ ヒンドゥー 25
カトリー イスラーム 115
ソダ イスラーム 13
合計 375
震災で分裂した村の一覧
タールカー 旧村名 新村名
アンジャール Bhudharmora Parmeshnagar
Chandrani Rajivnagar
Dhamadka Ajrakhpur,Hastkalnagar
Dhudai Indraprasth
Nana Khirasara Yamnanagar
バチャウー Adhoi Wanatnagar
Baniyari Harinagar
Bhujpur Vijeyrajepuram
Jarsa Premnagar
Katan Thipinagar
Kankhoi Gayatrinagar
Korsar Ramdevpirwand
ブジ Akau Junikhari
Chapreri Atannagar
Dadhawar moti Ramnagar
Dhaneti Ramkrishnanagari
Ukharmora Yoginagar
『カラス』pp.10より筆者作成

資料:インド西部地震復興とブジ市都市計画関連年表

・地元日刊紙Kutch Mitra記事と、[Abhiyan 2001]を参照して、筆者作成。
・表中に(KM)とあるのは、Kutch Mitra記事による。
事柄
2001 1 26 ブジ・タールカーのロダイ村を震源地としたM6.9の地震が発生
26 現金の手当て、死者への補償金のガイドラインが発表される。
救援が始まる。
学校が2001年6月まで閉鎖する。
28 425村において被害調査がsub centers(後のSetus)によって始まる。
29 県庁においてNGOの共同センターが設置される。
2 6 けが人に対する補償金が支給され始める。
7 NGOと県の行政との間で9時会議が始まる。
8 震災からの復興プログラムのために州政府がGiujarat State Disaster Management Authorityを設置。
13 州政府が各国より受け取った援助金をもとにして、Gujarat Earthquake Relief and Rehabilitation Fundがもうけられる。
22 住宅を失った住民のために、シートとセメントを供給するマテリアル・バンクを設置。
NGOによって、仮設住宅とテントの配給が始まる。
27 新しい県長官Jagidhishanが任命され、新しい都市計画を作った。(KM2001/2/27)
3 19 ブジ、バチャウ、ラーパル、アンジャールの4つの町の被災住民に、仮設住宅のための補償金助成の受付を始める。
家屋の被害をカテゴリー化する調査が政府により始まる。
21 州政府は、被災したコテージ・インダストリーに15カロールルピーを提供することを明らかにした。
22 復興委員会が、サラーフ・バザールの立ち退きを提案。(KM2001/3/22)
被災した機織職人たちに、州政府は機を提供することを決定。
耐震性のある建築のために、村レベルのエンジニアが雇用される。
救援は終了とされる。
倒壊家屋の製油によるアセスメントが始まる。
4 灌漑施設とダムの被害調査が行なわれる。
都市の復興政策が発表される。
Setuが、復興の情報を人々に伝えるチャンネルとして政府に認められる。
けが人の人数調査をNGOが行なう。
NGOによる戸別心理セラピーが行なわれる。
5 8 被災した手工芸職人に対して、工房再建のために5万ルピーの援助。
10 新しいブジの都市計画地図が20日ごろに完成予定。(KM2001/5/10)
家屋の補償金の支払い始まる。
4つの町の再建のために、Area Development Aythoritiesが町ごとに設置される。
31 ブジ都市計画に反対の人は、BHADAに申請書を提出のこと。期限は7月17日。(KM2001/5/31)
6 NGOによるセミ恒久住宅の建設が、800の村で始まる。
3 カッチの被災地を総理大臣が視察。
学校が授業を再開。
GSDMAが、NGOと共同してブジにオフィスを設置。
7 NGOによる最初の5村の再建が終わる。
NGOによって、住宅再建が始まる。
家屋の改修が、NGOによって進められる。
8 補償金の授受者の再調査。
5 ブジ都市計画の地図が公表された。(KM2001/8/5)
9 商人たちによる都市計画への反対(KM2001/8/9)
NGOによる家屋の再建始まる。
31 ブジ都市計画は変更された。(KM2001/8/31)
9 NGOによる灌漑設備の修理が完了。
13 ブジの新しい都市計画地図が発表された。(KM2001/9/13)
19 EPCは、土地の計測、レベリングを行なった。移住サイトへの受付は2ヵ月後にはじめる。(KM2001/9/19)
10 5 都市計画案は完成した。後は政治的問題さえなければファイナルである。(KM2001/10/5)
8 商人組織が都市計画に反対。Jethi氏がプレジデント。(KM2001/10/8)
11 22 旧市街地に、無許可で家屋の再建をする人がいる。登記簿のない人は、ローンが得られなくて再建ができない人も。(KM2001/11/22)
12 ブジ、バチャウの都市計画が完成。
9 新しい県長官Jaghishanが就任。(KM2001/12/9)
10 都市計画についての新しい決定。変更は法廷で行なわれること。建物は2階建てまでにすること。(KM2001/12/10)
12 ブジの3つの移住サイトが決定。12月12日までに申請書を提出のこと。(KM2001/12/12)
2002 1 カッチの包括的な復興センターが設置される。
55村において家屋の再建が完了。
2 コンピューター化された家屋倒壊度のデータが実用化。
20 ソニワールにファリア・コミティができて、都市計画に地域住民の声を反映させようとする試み始まる。(KM2002/2/20)
3 21 4つの町すべての都市計画が発表された。
ハミサール湖の文化遺産の修復のために総理大臣基金が用いられることに決定。
28 ファリア・コミティ、タジア・コミティ、ナウラトリー・コミティを作るべきという意見。(KM2001/3/28)
28 Bhuj Development Copuncilは、TPごとにコミティを作ることを提案。(KM2002/3/28)
4 3つの町の都市計画責任者が任命された。
都市計画案が公表された。
1 政治家の介入により、土地の接収は進まず。(KM2002/4/1)
2 Bhadaが再建許可を与えないために、人々は無許可で再建を始めている。(KM2002/4/2)
7 ブジ、マンドゥィ、ラーパルでは36m幅のリングロードの建設が始まった。(KM2002/4/7)
24 新しい県長官Guptaが就任。震災後4人目の県知事。(KM2002/4/24)
5 タールカー・レベルの経験を分かち合うためのワークショップがNGOによって開催された。
8 EPCによるブジ城壁内部の8TPがスタート。(KM2002/5/8)
24 ブジ旧市街では、土地の接収後伝統的な家屋の再建が不可能と批判。ファリア文化の存続を求む声(KM2002/5/24)
27 都市インフラの再建がGujarat Urban Development Companyによって始まった。/カッチの破壊とリノベーションが始まった(KM2002/5/27)
6 移住サイトの建設が始まった。
24 移住サイトの申請者に対して抽選が行なわれた(KM2002/6/24)
7 5 ブジ城壁内部の8TPに事務所を設置。(KM2002/7/5)
10 TP8のうち6つは終了。(KM2002/7/10)
12 移住サイトの移住者が決定。(KM2002/7/12)
8 140村で家屋の再建が完了。
NGOによる仮設住宅のプロジェクトは終了。877村において計81,197軒を建設。
4つの町の都市計画が認可された。
13 都市計画の遅れが指摘される。計画は3年で、すでに500カロールルピーが貸与されている。(KM2002/8/13)
9 3つの町の移住サイトの土地に移住希望者受付が始まった。
7 ブジの都市計画のために、60-70軒の家屋を撤去された。(KM2002/9/7)
7 移住サイトの土地の値段が発表された(KM2002/9/7)
14 カウラ・ロード、ナゴル・ロードの不法居住者を撤去。(KM2002/9/14)
27 政府が80パーセント、NGOが20パーセント出資による住宅の再建が12村で行なわれた。(KM2002/9/27)
10 都市計画に対する最初のヒアリングが行なわれた。
11 Bhadaが告知した土地の公定価格が、場所によって異なると批判。(KM2002/10/11)
20 ナーガル・カーストのコミュニティ・ホールが接収される。(KM2002/10/20)
28 RTO(移住サイト)にラージゴル・カーストが180プロットを得て、家屋の建築を始める。(KM2002/10/28)
30 スワミナラヤーン寺院の土地の一部が接収される。(KM2002/10/30)
ハートケシュワル寺院の土地の接収は撤回される。(KM2002/10/30)
11 都市計画に対する2回目のヒアリングが行なわれた。
18 都市計画の情報が人々に提供されていないと批判が出る。(KM2002/11/18)
21 バス停近くの商店街は、登記簿が書き換えられていないために、公有地として都市計画に組み込まれる。(KM2002/11/21)
25 ビル市場に仮設店舗を建築する予定。(KM2002/11/25)
12 被災者の復興に対する満足度の調査がNGOによって行なわれた。
都市計画に対して反対意見がでる。デモも。(KM2002/12/7,8,9,10,など)
25 ゴル市場の都市計画が始まる。(KM2002/12/25)
27 不法居住者たちが都市計画に反対するデモ。(KM2002/12/27)
28 都市計画に反対して、商店がストライキ。(KM2002/12/28)
2003 1 バチャウとアンジャールの都市計画が発表される。
7 借家人が移住用の土地を求めてデモ。(KM2003/1/7)
25 州議員が、ハンガーストライキ。(KM2003/1/25)
26 ムスリムの宗教施設を接収しないように県に要請してムスリムの団体がデモ。(KM2003/1/26)
ジジェネラル・ホスピタルの再建の第一段階が終了。
負傷者の年金スキームが決定。
2 ブジの都市計画が認可される。
7 裁判所が、宗教施設の土地をそのままにして都市計画を行うようにBhadaに通知。(KM2003/2/7)
12 接収される土地に居座り続ける人々が逮捕される。(KM2003/2/12)
23 ブジで道路の予定地に沿って、新しい土地の境界に印をつける作業が始まる。(KM2003/2/23)
4 2 タウンホールの建設始まる。(KM2003/4/2)
5 31 新しい県の長官Sharmaが就任。都市計画の早い実現を約束。(KM2003/5/31)
6 1 街路樹を切り倒さないように要望が出ていたのに、夜間に切られる。(KM2003/6/1)
2 移住サイトに水がまだ供給されていない。(KM2003/6/2)
11 移住サイトに815プロットが供給され、200軒の家が建築される。(KM2003/6/11)
23 ブジ最大の市場、ワニヤワールで土地の接収が始まる。(KM2003/6/23)
7 8 ブジ郊外にヒル・ガーデンが完成。(KM2003/7/8)
15 Bhadaが家屋の建築デザインを提供。(KM2003/7/15)
9 20 都市計画に対して反対の人は、ロク・ダルバル(民事裁判所?)に提出することができると告知。(KM2003/9/20)
10 22 イスラーム宗教施設の土地接収に反対のムスリム・グループがデモ。(KM2003/10/22)
2004 1 1 移住サイトに水道税の課税が始まる。(KM2004/1/1)
14 ヒル・ガーデンをロータリークラブに貸与。(KM2004/1/14)
25 州知事が復興の視察に。(KM2004/1/25)
2 15 政府が分配するはずのセメントのストックがないことが問題に。(KM2004/2/15)
27 ソニワールのコミティは活動を終了する。(KM2004/2/27)
3 27 ワニヤワール市場で商人たちの反対。(KM2004/3/27)
29 上下水道の工事が進まないために都市計画が進まないとGUDCが苦情。(KM2004/3/29)
5 2 上下水道工事のために、道路面が高くなり、雨期の家屋浸水が心配される。(KM2004/5/2)
24 歴史的建造物の補修が一部進む。(KM2004/5/24)
25 上下水道工事にまつわる収賄が明るみに。(KM2004/5/25)
6 4 ムスリム墓地の接収について県側がミーティング。(KM2004/6/4)
13 ブジの三つの移住サイトの道路が完成。(KM2004/6/13)
29 不法居住者の立ち退きに際し、約束されていた移住サイトは反故にされる。(KM2004/6/29)
7 15 住宅再建の補助金を受け取って、再建にとりかかっていない人に対してBhadaが補助金の返還を求める。(KM2004/7/15)
セメントと鉄の値段が高騰。
8 10 GUDCはブジ再建の建築コンサルタントを変更。元のコンサルタントは契約をうち切られた。そのために労働者や建設業者は支払いを受け取っていない。(KM2004/8/10)
15 バヌサリー・ナガルで住民が抗議の断食。政府がインフラ整備をしないことに対して(KM2004/8/15)。
21 NGOがブジの通り名やファリアー名の標識を建てる活動(KM2004/8/21)
24 ブジのTPが終わったら、誰が責任をとるのかという市民の質問。ミルジャプール村はブジ市に編入されるか?(Km2004/8/24)
9 3 マハーデーブゲートからパテシュワールまでの道路の修復はまだ始まらない。ハトケーシュワル寺院と家一軒が接収に関して法廷に提訴(2004/9/3)
古い野菜バザールの修復が始まった。(2004/9/3)
13 ニュー野菜バザールには4.5m幅の道路が通ることになっている。商人は反対。(Km2004/9/13)
20 移住サイトへの郵便サービスは、MPの働きかけで開始された(KM2004/9/20)
29 移住サイトには水道による水の供給がない。タンカーの水は不定期にやってくる。(Km2004/9/29)
10 13 ナグリグ・ソサエティーで水道管の上に建築した人に対してコレクターが工事をストップさせた(KM2004/10/13)
25 ビルバザールの工事始まる。道路の幅は60フィート=18m。(Km2004/10/25)
31 ジュナ・ラールワーリーは道路、公共サービス共によくない。(KM)
11 1 パトワリーゲートからコトキーロードにかけて24m幅の道路が完成(KM)
プラモークスワミ・ナガールの下水道は技術ミスのために汚水があふれる(KM)
3 TP5,6における問題40点をロックダルバールをひらいて解決。(KM)
4 高齢者のための公園をナジャルバーグに10ラックルピーを投じて作ることが決定。(KM)
復興の問題について解決するための市民によるコミティの結成(KM)
5 ヒル・ガーデンを1.5カロールルピー投じてより整備することが決定。(KM)
7 ブジのパウリ(洗濯場)近くのバニヤン樹がBhadaによって切断され、環境活動家が抗議のサドリ(喪の儀礼)(KM)
コミティによって行政と交渉するべきとのオピニオン記事(KM)
8 バニヤン樹の切断に抗議してデモ(KM)
9 公務員用住宅ガネシュナガル(1992年に認可)は公共設備が整っていない。蚊の発生(KM)
13 バニヤン樹について(KM)
12 13 Nalin Upadiya氏オピニオン。道路を拡張しても道ばたで無許可に商売する人を撤去すべきと。(KM)
15 GIDCハンガミアワースの仮設住宅の撤去をコレクターが命令。人々は行き場を失うがどうするのか(KM)
TPによってホスピタルロードの補修がはじまる。(KM)
道路から最低4フィート(1.2m)離れることという決まりを破って、道路ぎりぎりに建築する人がいる(KM)
16 Bhadaはバニヤン樹を切断、バイラージ・ワーオ(ハトケシュワル寺院向かい)を埋め立てて道路を建築(KM)
17 バニヤン樹について(KM)
ブジの建造457年記念式典(KM)
19 Bhadaのアナウンス。ラジェンドラパークの修復を業者に委託と。(KM)
20 オピニオン記事。ブジの歴史遺跡を守るべきと。(KM)
21 168年の歴史をもつカトリック教会が修復後のオープニング(KM)
25 道路のそばに家を建築した人に対して、裁判所が工事の差し止めを命じた。
31 ゲートの修復はもうすぐ終了。(KM)
オールド野菜バザールは商人が集めた2ラックルピーに政府が資金を足して修復された(KM)
24 RTOプロット価格の高騰について住民140世帯が質問。マダプールは6Rs/m2が、300Rs/m2に(Km2004/12/24)。
29 ナジャルバーグの高齢者向け公園は、サンギー・インダストリーが建築中(KM)
31 TPはいつ終わるか。サラフバザール、ビルバザーール、鳩タワーまだ。(KM2004/12/31)。
コミュニティーホールは土地の接収。洗濯場の修復。遺体焼き場まだ。ガルビーチョークを返して欲しい(KM2004/12/31)。
移住サイト、RTO650、ムンドラロード1500、ラーワルワーリー2500軒。学校、薬局など設備はまだ(KM2004/12/31)。
2005 1 2 カルパタ・ロードにある住宅地のアパートはG5認定だったが、保険会社が保険を支払っていなかったものを、利子をつけて支払いに応じた(KM)
10 ジェンセン&ジュエリーがインドラバイ高校の再建のイノグレーションを行った(KM)
11 自宅G5に認定された人の水道料金の徴収の猶予が終了(KM)
13 移住サイトの住民にまだブジ市の選挙権がない(KM)
キャビン商人の税金の震災ご猶予が解除される(KM)
16 ダリットは復興を援助を得ていないと中央政府に訴え(KM)
20 オールド野菜バザールのオープニング(KM)
22 震災4年後、一人の老人が政府に抗議して断食(KM)
23 ブジ市の財産税の増税。増えた財源によって水道などの工事を行うとブジ市当局(KM)
24 震災4年目、政府は花火を行い、ガルバーダンス(KM)
25 サルパットゲート、オールド野菜バザール、バハール(公園)のオープニング(KM)
26 アシャプラ・リングロードの完成、ガーデンのオープニング(KM)
29 震災4年後、ジラ・パンチャーヤト再建。カッチ大学の建設予定(KM)
31 カレッジの建築は遅れてようやく2005年3月に始まる予定(KM)
工学カレッジの修復はまだ終わらず、大学は閉鎖のまま(KM)
震災から4年、小学校の98%、中高校は70%が完成、(KM)
RTO移住サイトの小学校完成、スタートはまだ(KM)
2 1 震災で倒壊した新築、未入居アパートに対して裁判所が返金を命令(KM)
カッチ・ウトサブがヒル・ガーデンにて開催、入場者2.5万人(KM)
4 VDホスピタルは仮設のままで再建のめどたたず(KM)
Gokulアパートメントのサンプルが調査のために研究所に送られている(KM)
5 ブジの卸市場建設中、1年で再開のめど(KM)
6 GSDMがKM記者に語る。98%の復興は終わったと。480カロールルピーを道路に10万軒の家を3年で再建した。(KM)
13 ワニヤワールのリクシャワーラーがスタンドの立ち退きに抗議(KM)
16 エアポートロード(ブジーカウラ)沿いの不法居住者の撤去に対してコングレス政治家が抗議(KM)
18 ブジで不法占拠店舗の撤去(KM)
25 アジア開発銀行のダイレクターがククマ村、ブジョーリー村を視察(KM)
26 瓦礫の撤去業者が、詐欺で逮捕(KM)
3 1 コロニーロード、ハミサール湖、ケンガルジー公園に2カロールルピーを計上(KM)
3 TPにより古い地名がなくなり新しい地名に取って代わられている(KM)
政府は住民から土地の減歩をし、その土地を転売して儲けていると批判(KM)
5 マハーデーブゲートのオープニング(KM)
6 ジェネラルホスピタルのオープニング、モディが来て行われた(KM)
8 政府の保険政策を市民が批判(KM)