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2004年インド洋大津波

スリランカ東部州の住民と復興活動


 本論文では、2004年スマトラ島沖地震によるスリランカ東部州の被災地の状況を扱う。基となるデータは、筆者が2006年8月から9月にかけて実施した調査と、その前後に筆者が関わるNGO活動を通して得た見聞である。ここでは内戦と援助漬けという二つの問題が、被災地の復興を難しくしていることを指摘する。

災害の概要

 2004年に発生したスマトラ島沖地震は、スリランカに歴史上初めての津波災害をもたらした。北海道より一回り狭い人口2千万の島国で、国土の3分の2以上を超える海岸部に被害をこうむった。3万5千人以上の死者・行方不明者を出し、漁業と観光産業への打撃は甚大であった。そもそもインド南部からスリランカにかけての地域は地震被害さえみられないところであり、ほとんどの住民にとって津波の知識も経験も皆無であった。
 被災後、国内ではNGOや一般住民によって緊急支援のためのボランティア活動が迅速かつ大々的に展開された。国際NGO、国際機関も活発に動き、スリランカの政府およびNGOに対して多額の資金や物資が送られた。
 しかし、津波後1ヶ月あまりして復興段階になると、関心は薄まり、活動の主体は国際機関や国際NGOの手に移っていく。また、停戦下にもかかわらず、復興を巡って政府と反政府武装勢力のタミル・イーラム解放の虎(LTTE)との折り合いが付かず、復興活動全体を統括する組織をつくれない状態が続いている。内戦再燃の兆しが強まり、北部・東部では復興の停滞や遅延が目立つようになった。
 筆者が調査に入った東部州は、ランカー島の東海岸に南北に広がっており、全土の海岸線の3分の1を占めている。海岸線の全域にわたりスマトラ沖から津波の直撃を受けた。東部州での死者・行方不明者は15,322人、津波直後の避難民は439,197人と発表されている。3県のうちアンパーライ県の被害がもっとも深刻で、死者・行方不明者は10,436人、避難民は183,527人にのぼっている。
 また、この災害は自然災害であると同時に、自然破壊的な開発による人災でもあるといえる。住宅地やココヤシ園、道路用に、沿海部は既に相当開発されており、沿岸林や砂丘が消失している所が多くみられる。今回の津波災害では、ムードゥケイヤ林やマングローブ林の背後では波が弱まり、被害が少なかったことが知られている。ところが、東部州ではムードゥケイヤは点在する程度にしか残っていない。ココヤシは波除にはならず、海辺の集落は土台を残して壊滅していた。一部では防砂林用にオーストラリア原産の針葉樹モクマオウが植えられてあったが、津波には無力であった。国連開発計画の指導で植林に携わったNGO幹部は、若干残っていたムードゥケイヤを引き抜いてモクマオウを植えていたと語っている。海辺には貧しい人々が、粗末な家屋に暮らしている場合が少なくない。それらは波の力にはひとたまりもなく、破壊され犠牲になったのである。
  • かろうじて残存している
    ムードゥケイヤ

内戦と災害

 東部州の住民の民族構成は、シンハラ(仏教徒)、タミル(ヒンドゥー教徒)、ムスリムがほぼ3分の1ずつを占めている。だいたい民族ごとに集住しており、地理的にはモザイク状に分布しているといえる。
 東部州で津波災害の復興活動を困難にしている最大の要因は、内戦による社会不安である。LTTEは北部州と東部州をタミル・イーラムの領域とし、分離独立を目指して武力闘争を展開してきた。政府は鎮圧に乗り出し、1983年以降は内戦状態となった。1990年代になるとLTTEは東部州でもタミル人居住地を基盤に勢力を広げた。ようやくノルウェー政府が仲介して、政府とLTTE間で停戦が成立した。ところがLTTE内で対立が生じ、2004年4月に東部州の部隊を率いていたカルナ大佐が反乱を起こした。敗れたカルナ派は政府に庇護を求め、東部州は流動的な状況となった。05年には、大統領に選出されたマヒンダ・ラージャパクシャが、過激なシンハラ・ナショナリズムを掲げる人民解放戦線やシンハラ民族の遺産の協力を得て、LTTEに対して強硬策で臨んだ。同年12月頃から東部州では、LTTEとカルナ派の抗争に加え、STFとカルナ派による対LTTE共同作戦が展開されるようになる。ほとんど内戦再燃状態というべき状況であった。筆者が調査を行った06年8~9月の段階では、警察所属のテロ対策特殊部隊(STF)、LTTE、カルナ派がモザイク状に割拠していた。
 シンハラ・ナショナリズムが対等する社会情勢の中で生じた津波災害の危機は、さらなる仏教原理主義的な言説を生み出した。津波直後に、パーリ語の神話・歴史書『大王統史』に記されている「2300年前に起きた大波の話」が話題となった。
 王は王妃と密通した弟の不義に対して、僧侶を処刑した。怒った海の神は大波を伴って侵攻した。王が占星術師の言に従って王女を海の神に捧げると、ようやく波は静まった。王女はスリランカ南部に上陸し、その地の王と結ばれ、ドゥトゥギャムヌ王子をもうけた、という一節である。パーナマの隣町のポトゥウイルには、海辺に上記エピソードの王女が上陸したとされる古代仏教寺院ムードゥ・マハーヴィハーラヤがある。最果ての村パーナマには過剰に支援が集中したが、まさにこのエピソードが深くかかわっている。
 LTTEは東部州全域をタミル人のホームランドと見なし、タミル・イーラムの領域として主張してきた。シンハラ・ナショナリストにとって、上記エピソードはタミル・イーラムを打ち砕く論拠に他ならない。パーナマで恒久住宅を貧困層に与えているのは、シンハラとタミルの双方にまたがる人々を、しっかりとシンハラ側に確保する方策と思われる。

復興活動とNGO

 今回の調査は、アンパーライ県の南端のパーナマ村を基点にして3週間を費やして行った。県単位にしてみると、アンパーライは最多の犠牲者を出している地域である。今日のパーナマ村の人口は5千人弱で、80パーセントがシンハラ人、残りがタミル人という構成である。
 パーナマ村には12月26日の午前9:00過ぎに、津波が3回押し寄せたという。ところが、多大な被害を出した東部州にあって、この村では死者1名、全壊家屋5戸にとどまっている。細長いラグーン沿いに発達しているマングローブ林と、2列に並ぶ砂丘が波を防いだのである。被害は比較的軽微であったが、村内で復興にかかわるNGOや機関は10団体にのぼる。
 津波直後から、隣町のポトゥウイルを拠点としてNGOや国際機関が、1年ほど衣食住を提供する活動を行っていた。恒久住宅に関しては、全壊5戸に対して126戸建設という供給過剰がおこっていた。入居者のほとんどは被災者ではなく、村内の与党支持者といわれている。
 津波で住宅の供給が必要な者には被災証明が発行され、被災者リストがNGOや政府の建築プロジェクトに提出される。このリストに基づいて住宅が供給される。しかし、虚偽の被災証明が少なくないといわれているし、リスト作成には政治家の介入が多々みられるともいう。
 アンパーライ県の他の地域の復興状況を鑑みても、恒久住宅が続々と完成しつつある南部・西部に比べて、東部では全般に大幅に遅延している。しかも、過剰に建築されている所からゼロまで、格差と不公平ははなはだしい。
 NGO、政治家、官僚の癒着を温床とする、横領や縁者びいき、無駄遣いなどの不正行為は津波災害からの復興の障害となっている。これらは、いわゆる援助漬けの伝統から生じる諸問題である。被災者支援のための住宅の転用、無駄な堆肥容器の配布、津波支援を名目に無被害の家に井戸を建設した例なども見られた。これらは外部の資金を調達したNGOが行っている。筆者友人のシルヴァ氏が事務局長を務める大規模なNGOも、当初は津波災害の危機を共有してボランティア精神が発揮されていたが、たちまち外部依存型の活動に戻ってしまった。
 援助漬けの体質は最近始まったわけではない。NGOと政治家、官僚の癒着の伝統は、長年にわたるODA、国際NGOによる援助によってすでに出来上がっているというべきである。今回の津波被害では短期間に金と物が集中したために、バブル状況を生み出しているのだ。国際的な支援は肝心な被災者にはあまり届かず、むしろその周辺の者たちが潤っているのである。
  • パーナマ村

  • 恒久住宅

宗教活動と災害

 パーナマ村のパッティニ神殿は災害に効験あるとされている。南インド起源のパッティニ女神は、シンハラ仏教社会、タミル・ヒンドゥー教社会で共に広く信仰を集めてきた。仏教的には、普段は都卒天に住んでいるが、伝染病や日照りなど人間界の危機に際して下生して救済してくれる、慈悲深い女神である。筆者の滞在中も、この神殿においてアンケリヤ祭が行われた。また、被災時における村人による津波の予言などに、パッティニ信仰の影響が強く現れていた。よそ者と土着の者との統合から信仰を通しての民族間の共生、安全の確保まで、村人にとってパッティニ神殿は精神的な支えとなっているのである。
  • パッティニ女神

  • アンケリヤ祭

結論

 スリランカ東部州では、内戦再燃と援助漬けの伝統のなかで、生活再建のための中長期的な視点での復興への取り組みは、きわめて困難となっている。誰もが今日、明日の身の安全と手っ取り早い利益を求めるからである。否定的な状況のもとで敢えて提言するならば、沿岸保全の観点からの緩衝地帯の再開発がありうると思う。たとえば、すでに小規模ながら開始されているタコノキ科植物やヒルギ類など在来種の植林による沿岸林の再生である。沿岸林は波だけでなく、風や砂の害を軽減する。乾燥を防ぎ暑さを和らげ、小動物も住み着くことができる。コンクリート壁とテトラポッドによるのではなく、自然力を用いて安全で美しい海辺をつくる活動である。青少年を動員しながら防災教育にも役立てられよう。これは長期的な計画のもとで着実に進められることが望まれる。これを実現させるためにも、内戦が終結し、援助漬けが是正されることが必要である。