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2005年パキスタン大地震へのNGOの対応

地震と被害の概要

 2005年10月8日、パキスタン側のカシミールを震源地とするM7.6の大地震が発生した。パキスタンではアーザード・カシミールから北西辺境州にかけての広大な地域が震災を被り、死者は7万3000人以上、行方不明者も9000人に達した。被災者の総数は300万人を超える。インド側カシミールにおいても被害が生じ、1300人が死亡した。
  • カシミール丘陵部の家屋

カシミール(カシュミール)

 1947年の「分離独立」に際して、カシミールで第一次印パ戦争が勃発した。以来、今日に至るまで、二つに分裂したカシミールの領土争いは、両国に軍事的緊張をもたらしてきた(インド側はジャンムー・カシミール州、パキスタン側はアーザード・カシミールならびに北方地域と呼ばれる地域である)。  この軍事的緊張状態を受け、アーザード・カシミールへの外国人立ち入りは、地震前までは厳しく制限されてきた。しかしながら、震災地があまりにも広大かつアクセスの困難な山地であるため、政府独自の活動で対処することは不可能である。震災後現在まで、外国NGOの自由な活動が認められている。

NGOの活動

 パキスタンにおけるNGO活動は、1990年代になって次第に認知される状況にあった。今回の震災への対応で、完全に市民権を獲得した。首都イスラマバードには、多くの外国人援助関係者も滞在している。
 いわゆる先進諸国との深い関係をもつのが「リベラル」なNGOである。アクション・エイド、セーブ・ザ・チルドレンなど欧米系NGOのパキスタン支部がこのカテゴリーには含まれる。サンギ(ウルドゥー語で「仲間」の意)などのローカルNGOは、「市民社会」のネットワークを活用して救援活動に乗り出す。アーガー・ハーン開発ネットワークなどもここに含まれる。
 一方、「ムスリム同胞」のネットワークを活用するNGOも存在する。マスメディアにおいて、「原理主義団体」とひとくくりにされ、かつ危険視されがちなジャマアーテー・イスラーミーやAl Rashid Trustが、相互扶助、弱者救済というイスラームの「原理」に基づいた活動をすぐさま展開し、その存在感を印象づけたのである。発生がラマザーン月にあたっていたことも、パキスタン人の宗教心を大いに活性化する方向に作用したと言われる。
 日本のNGOも、今回の震災を契機にパキスタンでの活動にあたっている。通常活動の一環としてパキスタンで活動するNGO団体は少なかったが、多くのNGOが緊急支援に取り組んだ。
 ジャパン・プラットフォーム(JPF)傘下のピース・ウィンズ・ジャパン(PWJ)、日本紛争予防センター(JCCP)、JEN、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン、日本国際民間協力会(NICCO)、アジア協会アジア友の会、災害人道医療支援会が、緊急人道支援活動を実施した。さらに、その後設立されたキャンプ・ジャパンの運営の経費等、外務省の日本NGO支援無償予算から総額8億3000万円が支出されている。キャンプ・ジャパンは5月末をもって終了するが、JENのようにカシミールにおいて引き続き学校建設にあたる団体も存在する。
 NGO独自の取り組みもおこなわれている。シャプラニール=市民による海外協力の会は、バングラデシュならびにネパールの農村部で活動に従事している。同会の規定に従い、PNAC(Pakistan National Aids Consortium)を通じてコサール(カシミールのローカルNGO。「山頂」の意)に500万円の資金援助をおこなった。子島はこの活動を調査するため、05/06年の年末年始に被災地を訪問した(→詳細)。
 パキスタン在住の日本人、もしくは日本在住のパキスタン人もボランタリーな活動をおこなっている。日パ・ウェルフェアー・アソシエーションの督永忠子氏は、首都イスラマバードの私有地にテント村を開設し、200人を受け入れた(06年3月末終了)。日本でコーディネーター業に従事するベーグ夫妻は、「低カースト」のベール村で支援活動を継続している。
  • 倒壊した学校

  • ムハンマド・ナワーズ氏

  • 抗議する村人たち

現場での問題

 キャンプ・ジャパンにおいては、「高カースト」すなわちサイヤドに属する人々のテント配置が問題となった。サイヤドは、預言者ムハンマドの子孫として社会的に尊敬されている。村での秩序が崩れた状態から、キャンプでの秩序再編成の過程の問題とみなすことができるだろう。
 旧藩王国アライでは、地主であるハーンと小作人であるグージャルの権力関係が、援助物資の配布に直接影響していることがうかがえた(アライの対岸には、バルトの著作 Political Leadership among Swat Pathans で知られるスワートがある)。これらの問題に対して、NGOがどのように対応したのか、あるいは対応できなかったのかについて具体的に追跡調査をおこなってみたい。

今後の展望

 今後しばらくは、現地で活動中の日本の団体を訪問して、引き続き情報収集をおこなっていく。日本とパキスタンの民間交流という観点からも、この震災は画期をもたらした。「市民社会」におけるネットワーク生成の事例として、なるべく多くの事実を具体的に収集していきたい。
参考文献
督永忠子、2006「緊急支援からテント村運営へ」『パーキスターン』204号、2-6ページ。
ベーグ瑤美、2006「国際支援から取り残されていたベール村を支援して」『パーキスターン』204号、7-13ページ。