大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国立民族学博物館

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20世紀前半のレコードに聴く東アジアの伝統音楽/推進型プロジェクト(2023年度~2024年度)/福岡正太

プロジェクトの目的

 このプロジェクトは、本館が所蔵する「戦前の東アジアの音楽:SPレコード金属原盤」コレクション(以下、日本コロムビア外地録音資料)を主な資料として、日本統治時代の台湾および朝鮮の音楽に対して、宗主国であった日本におけるレコード産業の勃興が与えた影響を明らかにすることを目的とする。近年、台湾および韓国において、20世紀前半のレコード研究が盛んになり、大学・博物館等において当時のレコードのデータベース構築が試みられている。両国の諸機関は、主に当時流通した製品レコードと新聞雑誌の関連記事や広告等の資料を蓄積しているのに対し、本館はレコード制作時の金属原盤を所蔵している。両者は補い合う資料であり、本館所蔵資料を、再生音源を含めてデータベース化してインターネット上で一般公開し、情報を共有することで、日本を結節点とした当時の東アジア各地の音楽の変化の共同研究を進める基盤を構築する。

プロジェクトの内容

 20世紀は、レコードというメディアの登場を機として、録音により音楽を聴く習慣が広がり、人間と音楽の関係が大きく変化した時代だった。いつどこでも同じ音楽を繰り返し聴くことが可能となり、レコードというモノの所有が音楽の楽しみの1つとなると同時に、レコードの大量生産が目まぐるしく移り変わる流行を生み出した。映画等の他のメディアとも密接に結びつき、レコードが映画の宣伝に用いられたり、レコードによる流行歌を基にした映画が作られたりした。台湾と朝鮮半島は、この音楽の大変革期を日本の統治下で迎えた。しかし、蓄音機は容易に文化の境界を乗り越えたが、音楽は必ずしもそうではなかった。日本の音楽の影響を受けながらも、それぞれの地域では独自の音楽の発展がみられた。このプロジェクトでは、日本蓄音器商会(現日本コロムビア株式会社)が制作したレコードを主な資料として、当時のレコードの制作に関与したアクターとその相互交渉の過程を明らかにすることで、日本の統治下にあった東アジア各地における文化生成の原理を明らかにする基盤を構築する。
 日本コロムビア外地録音資料については、すでにディスコグラフィー等の基礎資料を作成した。このプロジェクトでは、その成果に基づき、本館所蔵の音源および金属原盤画像をデータベース化し、インターネット上で一般公開することを第1の目標とする。台湾および韓国の研究者や機関からは、これまで何度か、それぞれの機関で制作するデータベースへの音源提供の可否の問い合わせがあった。日本統治下における文化生成の1事例として、東アジア各地に向けたレコードが日本蓄音器商会の川崎工場で製造されたという事実を踏まえた資料公開をおこなうには、本館のデータベースにて金属原盤を再生した音源の公開を一括して進めた上で、それを参照してもらうことが望ましいと考えられる。あわせて、本館が制作するデータベースを適切な形で、台湾および韓国の諸機関が制作したデータベースと関連付けることを第2の目標とする。金属原盤が他地域にはない資料であると同時に、本館は現地で流通した製品レコードを所蔵していない。現地の文脈を踏まえた資料および情報を収載したデータベースとの関連付けは、東アジア全体を視野に収めた音楽の研究を進める上で不可欠である。
 このプロジェクトを進めるにあたり、日本コロムビア株式会社の協力も得られるよう努力をしたい。同社は、日本のレコード会社の中では最も古い歴史をもち、様々な貴重な音源や資料を保有している。こうした歴史的資料のアーカイブ化にも積極的に取り組んでおり、これまでの研究においても多くの協力を得てきた。このプロジェクトにおいても同社のアーカイブの協力に基づき、当時のレコード制作に関する資料の発掘に努めたい。

期待される成果

 本館が所蔵する金属原盤の再生音源のうち、各国・地域における音楽研究上重要なもの、他では音源を入手しにくいもの、著作権等の保護期間が切れているものを優先的に選定し、レコード約2000面分を目標として音源のデータベース化をおこなうとともに、本館所蔵の金属原盤の画像のデータベース化もあわせておこないインターネット上で一般公開する。情報を記述する言語は日本語と英語を主とし、必要に応じて資料ごとに現地の言語での情報記述をおこなう。フォーラム型情報ミュージアムの基本システムを基盤とし、公開当初は、コメント機能を活用して共同研究員および研究協力者間での個々のデータの追加修正等の意見交換をおこない、研究が一段落したところで広く一般に公開することを目標とする。その際には、技術的に可能な範囲で、台湾および韓国の諸機関が制作したデータベースとの密接な連携を図る。ただし、それぞれのデータベースには制作に至る経緯があるため、データベースとしての一体化は目指さず、それぞれの研究意図がわかるような形での連携を目指したい。

2024年度成果

1.金属原盤のデータベースの作成
 本館が所蔵する金属原盤7628枚およびそのケースに記された数字や日付等の情報および画像のデータベースを作成した。金属原盤に関する情報は、ディスコグラフィーデータ(発売された個々のレコードについてのデータ)と照らし合わせることにより、レコードの録音時期や制作過程を確定し、レコード会社の制作方針などを推察するための重要な材料となる(この点については、初年度の報告に詳細を記した)。なお、国際共同研究員・王櫻芬の研究によれば、民博所蔵金属原盤には制作はされたものの発売されなかったものあり、新発見の音源を公開するとともに、これらを詳細に検討することで、流行や時局の変化を背景として、録音・制作・発売の方針がどのようにたてられ、どのように制限されたのかを明らかにすることができる。

2.ディスコグラフィーデータおよび音源のデータベース作成
 当初の計画では、金属原盤の再生音源のデータベースを作成する予定であったが、共同研究員の助言に基づき研究の利便性をより高めるために、日本蓄音器商会が朝鮮半島、台湾、上海向けに制作したレコードのディスコグラフィーデータをデータベース化し、そこに再生音源データをあわせて搭載することとした。レコード7697面分のディスコグラフィーデータをデータベース化した。また、音源ファイルの変換、および著作権の確認や処理に時間がかかることを踏まえ、最終的にプロジェクト期間内にはレコード1000面分程度の音源を優先的に公開することとした。なお、金属原盤データベースとディスコグラフィーデータベースのデータ間にリンクをはり、対応する資料について相互に参照可能とした。また、韓国・台湾等においてインターネット上で公開されている情報については、研究メンバーおよびデータベース利用者に情報提供を呼びかけ、有用な情報にリンクをはることで連携をはかることとした。今後、本データベースを利用する研究者のネットワークを拡大してデータベースの研究利用を促進し、利用者の情報提供に基づくデータの追加や修正をおこない、関連情報へのリンクを蓄積することで、20世紀前半の東アジア音楽研究に欠かせない情報のポータルの1つに育てていくことを目指す。

3.研究会の開催
2024年8月と2025年2月に2回の研究会を開催した。

①2024年8月
民博インテリジェントホールを会場として開催された国際伝統音楽舞踊学会(International Council for Traditions of Music and Dance)の東アジア音楽研究会(Study Group of East Asian Musics)のシンポジウムにおいて基調講演のセッションを共催し(8月23日)、本プロジェクトの国際共同研究員・黃裕元氏(国立台湾歴史博物館)が基調講演 “Everyday Life and Imagination in Phonograph Records: Tshiò-Khue Comedy Records from Taiwan’s Japanese Colonial Period” をおこなった(参加者134名)。また同シンポジウムで国際共同研究員・王櫻芬氏が “Exploring Lin Shihao’s Unreleased Recordings of 1933” と題した研究発表をおこなった(8月24日)。両氏のプレゼンテーションにより、民博が所蔵する金属原盤関連資料の意義および研究の可能性が、東アジア音楽の研究者の間でより広く認知されることとなった。またシンポジウム後、8月26日に研究会を開催し、ディスコグラフィーデータをデータベース化する方針等について話し合った。
②2025年2月
本プロジェクトの共同研究員らが本プロジェクトにより構築したデータベースを2ヶ月ほど試用した上で、2月22日および23日に研究会を開催し、東アジア音楽の研究における民博所蔵金属原盤等の意義と可能性について議論をおこなった。なお、この研究会における研究発表をもとに、各自が論文を執筆し、報告書を作成することとした。研究発表の内容は以下の通り。
  • 「民博所蔵金属原盤のデータベース化の目的と意義」福岡正太(国立民族学博物館)
  • 「レコードにおける歴史的音源——笑詼コメディおよび歌仔冊(グアツェ;語り物の台本)による新たな研究の可能性」黃裕元(国立台湾歴史博物館)
  • 「日本コロムビア金属原盤データベースにおける朝鮮盤の公開とその意義」李晋源(韓國藝術綜合學校傳統藝術院)
  • 「日本統治時代の客家音楽SP レコードに聴く同時代経験」范揚坤(台湾国立台南芸術大学准教授)
  • 「民博が所蔵する台湾の未発行金属原盤序説」王櫻芬(国立台湾大学)
  • 「日本国立民族学博物館所蔵日本コロムビア金属原盤データベースによる韓国音楽研究の拡大——西道音楽の例」林慧庭(韓國漢陽大學校)
  • 「歌詞カードから読み取る台湾古倫美亞発売「赤リーガル」・「赤黒リーガル」の録音内容とその研究上の展望」劉麟玉(奈良教育大)
  • 「音盤上の韓国巫俗音楽と挙床楽——コロムビア盤〈平壌クッ〉と〈雅楽 宴楽曲〉」植村幸生(東京芸術大学)

2023年度成果

第1年度目には、(1)金属原盤の画像データベース作成と(2)2年度目に制作を予定している音源データベースの収録曲目選定の作業を進めた。

1.金属原盤の画像データベースの作成のための情報整備
 20世紀前半のレコード制作は、次のような過程を経ていた。①ロウ盤に直接溝を刻み、本来の意味での原盤を作成、②ロウ盤にメッキを施しマスター盤(通常のレコードと溝の凹凸が逆の凸盤)を作成、③マスター盤からマザー盤(凹盤)を作成、④マザー盤から製品レコードをプレスするスタンパー(凸版)を作成、⑤製品レコードをプレス。ロウ盤とスタンパーは消耗品であり、役目を終えると廃棄され、マスター盤とマザー盤が後に残された。ここではこの2つを「金属原盤」と呼ぶ。
 本館が所蔵する金属原盤は段ボール製のケースに入れて保管されている。金属原盤には、原盤番号や発売レコード番号など複数の番号が刻まれていることが多く、それらの情報から録音セッションと発売レコードの関係を知ることができる。金属原盤を収めているケースには何らかの作業をおこなった複数の日付が記されていることが多く、金属原盤を作成した時期、スタンパーを作成し、レコードをプレスした時期などを知ることができる。金属原盤に関するこれらの情報は、レコード会社が保管する録音記録や発売されたレコードに貼付されたレーベル上の情報、新聞雑誌等に掲載されたレコード発売情報等と照らし合わせることにより、レコードの録音時期や過程を確定し、レコード会社の制作方針などを推察するための重要な材料となる。
 第1年度目には、金属原盤データベースの設計、別のプロジェクトにて撮影済みだった金属原盤とケースの写真の整理、未撮影だった一部の資料の撮影、データの整備とチェックをおこなった。今後、これらのデータを実際にデータベースに搭載していくことになる。

2.音源データベースの収録曲目選定
 データベースに収録する音源の選定は、台湾音楽および韓国音楽の研究者の協力を得ることとし、国内の共同研究員2名、国際共同研究員3名を招いて研究会をおこなった。金属原盤には、製品レコードに貼付されるレーベルのような録音内容に関する情報が付随していないため、関連資料に基づくこれまでの情報整理で録音内容が明らかになっていない金属原盤等の再生音源を試聴し、データベース化すべき音源の提案をしてもらった。当初予定していた合計レコード400面を超えて、台湾と朝鮮のいずれについてもレコード2,000面分弱の音源の提案があった。
 それを踏まえて議論をおこない、各国・地域における音楽研究上重要なもの、他では音源を入手しにくいもの、著作権等の保護期間が切れているものを優先的に選定するという当初の方針は尊重するものの、この機会にできるだけ多くの音源を公開することを目指すこととした。その理由として、①台湾や韓国で公開されている音源は製品レコードを再生したものであり、音質が良くないものもあること、②本館のコレクションは日本蓄音器商会(現日本コロムビア)のまとまったコレクションであり多くのジャンルや楽曲を網羅していること、③このデータベースの公開により一層研究が進むことが期待され、共同研究員はできる限りの協力をするつもりであることがあげられた。今後、本館における作業を勘案して、提案された音源のデータベース化が期間内に可能であるかを検討し、スケジュールをたてていくこととした。
 なお、第2年度には、8月に開催される国際音楽舞踊伝統音楽学会東アジア音楽研究会のシンポジウムにて本プロジェクトにかかわる基調講演をおこなうこと、また関連するテーマの研究発表をおこなうことなどを確認した。