大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国立民族学博物館

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西アジア北東部の文化動態と物質文化をめぐる超域的研究/推進型プロジェクト(2024年度~2025年度)/黒田賢治

プロジェクトの目的

 西アジア北東部から新疆など東アジア西北部までの中央ユーラシア世界が東西南北の政治権力の影響を受けながら歴史的に超域的な線と面からなる有機的な地域空間として形成されてきたことが知られてきた。こうした地域空間は19世紀以降になると南下政策を採るロシアとインド権益の保護を図る英国といった帝国の存在、内陸部の鉄道敷設や海域世界とのモビリティの変化、さらには20世紀の国民国家システムなどに影響を受けつつ今日の地域空間として再編されてきた。
 本研究プロジェクトでは、特にイスラームの勃興以降に農耕地域と牧畜地域が入り混ざり合った中央ユーラシア世界と歴史的な繋がりをもつ西アジア北東部の文化的動態を理解するために、同地域から東アジア西北部までユーラシア内陸部に歴史的に形成された超域ネットワークに結びつく周辺地域の標本資料と連環させ、地域横断的な同地域の物質文化の広がりを空間的に可視化したデータベースの構築を行う。

プロジェクトの内容

 ユーラシア大陸西部に位置する西アジアは、7世紀のイスラーム化以降にはアラビア半島を中心に高度な文明を築いてきたが、同北東部は西アジアにおいては地理的・文化的な周縁にあたる。しかし同時に同地域は中央ユーラシアの農牧接壌地帯へと繋がり、特にシルクロードとして知られる中央ユーラシアの人・モノ・知識を東西南北に横断的に動かす超域的な交易ネットワークに繋がる重要な境界域でもある。それゆえ同地域をめぐっては、近年グローバリゼーションを意識しつつ、時間軸に沿った共時的な地球社会の可視化や超域的な文化的連環といった観点から、既存の地域区分を超えた通時的に創られてきた地域空間という視点に立ち、その文化的動態を追求する必要がある。すなわち西アジア北東部の文化的動態を捉えるには、西アジアや中央アジア、中国という展示地域区分を超えて超域ネットワークを介して繋がる空間として捉える必要がある。
 他方で、超域ネットワークのなかで歴史的に広がってきた文化的連環は、現代の国民国家システムや今日の政治経済的な地域システムのなかで形成された国民意識・地域共同性といった認識枠組みのなかで再編成され、エスニック・アイディンティティと結びつきながら政治的な緊張を孕みながら顕在化することもある。かかる状況を考慮すれば、研究者の視点による地域設定だけでなく、今日に生きる国民国家単位の当事者認識を地域横断的な標本資料に対しても記録していくことも必要となる。
 本プロジェクトでは、(1)これまで第3期のフォーラム型ミュージアムプロジェクトにおいては未整理であったイラン北部・北東部を中心としたトルコ系遊牧民の標本資料に加え、同地とシルクロードを介して繋がるアフガニスタン北部、カシミール、中国北西部それぞれの関連資料、計855点について既存の標本資料目録データベースの情報について関連文献を利用しながら深化および精査する基本作業を行う。また、(2)それらの標本資料と「中央・北アジアの物質文化に関する研究―民博収蔵の標本資料を中心に(2018-2021年度)」(研究代表者:寺村裕史)としてすでに整理された中央アジア関連の標本資料(1198点)に、地理情報を付加することで、空間的なモノの広がりを地図上において可視化するデータベース構築を行う。さらに(3)整理対象の標本資料に対する今日的認識についての理解を図るために、収集地域の人たちを交えたワークショップを、すでに一般公開している「中央・北アジア物質文化資料データベース」も利用しながら実施する。

期待される成果

 地域横断的なフォーラム型人類文化アーカイブズプロジェクトの一つのパイロット・モデルとして、整理対象の標本資料をめぐる超域的な理解を深化させるとともに、地図上での標本資料情報の表示を試みる先例となるようなデータ公開を行う。加えて他のプロジェクトと関連させながら、国内外の研究者と協力し、データベースの共同利用による国際共同研究を活性化させる。
 また研究成果の可視化と社会発信として、2026年3月から本館で開催予定の特別展「シルクロードのあきんど語り――はるかなるユーラシア交流(仮)」において構築したデータベース(モニタおよびPC)を設置・公開するとともに、地理情報を利用した一コーナーを設けて研究成果を組み込んだ展示を行う。

2024年度成果

本年度においては、(1)標本資料への文献等を利用した情報の整理、(2)標本資料についての臨地調査、(3)データ公開方法の整理の三点について作業を実施した。
(1)標本資料への文献等を利用した情報の整理として、Googleスプレッドシートを利用し、館内外の共同研究者によって作業できるプラットフォームを提供しつつ、研究計画に基づき標本資料の基本事項に、地理的情報を付加するとともに、文献資料ならびに後述する臨地調査に基づいて現地語名や使用方法などについて情報を追加した。また大英博物館やメトロポリタン博物館、また文化遺産オンラインといったある程度データベースとして情報更新がなされた際にも継続的に利用できる館外のデータについて備考として参照のためのリンクを整理した。
(2)標本資料についての臨地調査については、当初の計画であった中国北西部およびカシミール収集資料に関する臨地調査については文献調査とし、アフガニスタンおよびイランの収集資料についてウズベキスタンおよびイランで臨地調査を実施した。9月にウズベキスタンで実施した臨地調査では、国際研究協力者と協力しながら、アドハム・アリーロフ(ウズベキスタン科学アカデミー歴史研究所民俗学研究部)部長と本研究プロジェクトについての意見交換会を開くとともに、アフガニスタン国境域にあたるテルメズ市などでアフガニスタン収集資料などについて聞き取り調査を実施した。前者の意見交換会では移動する文化としての文化的重層性と国民国家の影響を踏まえるうえで標本資料を空間的に可視化させる重要性をあらためて痛感した。また後者の聞き取り調査では、アフガニスタンのウズベク族の使用言語である南ウズベク語およびダリー語の情報を付加するとともに、言語表記の方法として国際規格に合わせた略号を用いて表記した。また8月末から予定していたものの、パレスチナ‐イスラエル紛争を背景としたイランとイスラエルとの交戦状態によって延期していたイランでの臨地調査についても、2月末から3月上旬にかけて実施し、イランから中央アジア、アフガニスタンにかけて暮らす遊牧社会の物質文化について、人類学研究所ならびに遊牧民諸問題庁の研究者との間でイラン側での近年の研究状況について把握するとともに、本研究プロジェクトへの意見交換を実施した。さらに意見交換に加え、2月27日にテヘランのトルクメン文化センターで、トルクメンおよびアーゼルバーイジャーン、ガシュガーイーの在野の研究者を交えたワークショップを開催し、本プロジェクトの計画および対象資料に関して情報を共有するとともに、今後の臨地調査への協力体制を整えた。
(3)データ公開方法の整理として、WebGISを用いた可視化について、上記の基本情報の整理がある程度進行した段階で、フォーラム型編集チームと協議しつつ、Open Street Mapを基本としつつもタイルレイヤーとしてGoogle Mapsなどにも対応可能なプログラムについてJavascriptを利用しながら展開させていく基本設計の条件を整理した。加えて、本研究プロジェクトを通じて可視化する文化的越境性の背景にある歴史的過程への理解を促す方法として新たに映像による可視化を試み、同点についての映像制作を実施した。