National Museum of Ethnology, Osaka, Japan
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Scan of first page of Brown's autobiography.
Scan of cover page of Brown's autobiography.

ジョージ・ブラウン自叙伝

George Brown, D.D. Pioneer-Missionary and Explorer

目次

幼少期 / 父―有能な人格者/ 父―篤い信仰心/ 学生の頃/ 危険な仕事 / 海へ 1 / 海へ 2 / 海へ 3 / 新大陸への航海 / 第一歩 / 五大湖 / 帰国 / 危機一髪 / ニュージーランドへの航海 / オークランド / 天職を求めて / 宣教師としての適性 / ふさわしい伴侶 / 泥まみれのハネムーン / 最悪の一夜 / 悲劇の宣教師 / シドニーからサモアへ


概要 < 幼 少期
父―有能な人格者
バーナードカッスル
写真提供 English Heritage
(バーナードカッスルの写真)

 自分の生い立ちを記す場合は家系について一言触れることが慣例となっているので、 私もそれに従って自分の系譜をたどってみようと思う。父方の家系で私が 直接知る一番古い親戚は、父の祖母である。この女性はバーナードカッスルにほど近いステインドロップというところに暮らしており、常々自分はリドレー司教 の直系の子孫だと語っていた。ちなみに1886年に帰国したときにステインドロップを訪れ、教会区の古参の庶務係にそのことを尋ねたところ、曾祖母の言う 通りだということが分かった。祖父母のことは、何も知らない。

 私の父、ジョージ・ブラウンは13歳で孤児となり、それ以来自分一人の力でこの世 を渡ってきた人物である。弁護士の下働きに雇われてバーナードカッスル にやって来た父は、それ以降着実に実績を重ねて、自分が生涯を送ることになるこの町の、そしてダラム州の要人の座へと上りつめて行った。ここでブルック・ ハーフォード牧師の回顧録から、父について言及された部分を引用させていただきたい。そこには次のように書かれている。「 ジョージ・ブラウンの名はこの地域一帯に広く知られているだけでなく、ダラム州はもとよりノースライディング全域でも有名であり、まれにみる傑人として尊 敬を集めるとともに、これら地域に数多く存在する小さなキリスト教会の信者からも敬愛されていた。彼は英国国教会の信徒ではなく、ユニテリアン派の信者で あった。そして日曜毎にユニテリアン派の小さなチャペルで説教を行っていた。しかしそれでも町の人々は、彼の死に際し、大いなる人材が失われたことを嘆き 悲しんだ。彼の葬儀は自然と公のものとなり、教区の教会は葬儀の間中、すすり泣くような弔鐘を鳴らし続けていた。」


幼少期/ 父―有能な人格者/ 父―篤い信仰心/ 学生の頃/ 危険な仕事 / 海へ 1 / 海へ 2 / 海へ 3 / 新大陸への航海 / 第一歩 / 五大湖/ 帰国 / 危機一髪 / ニュージーランドへの航海 / オークランド / 天職を求めて / 宣教師としての適性 / ふさわしい伴侶 / 泥まみれのハネムーン / 最悪の一夜 / 悲劇の宣教師 / シドニーからサモアへ / 謝辞とリンク