神の寛容な愛を初めて実感したのがいつの日なのか、 正確に思い出すことはできない。私は、長い間、新しい生活、新しい考え方、新しい願望、そして人生の 新しい目標に接し、期待に胸をふくらませていた。そして、オークランドで開かれた特別集会のJ・ホワイトリー牧師の説教の中で、私は主イエス・キリストへ の信仰を受け入れたことをはっきりと自覚し、主の意思に従って生き、主のために働くことを決心し、それが自分の人生のためになると感じた。私はキリスト教 青年会の一員となり、その後、オークランド教区の定住伝道師となった。1859年、当時オークランド教区の最高責任者であったイサック・ハーディング牧師 が、正式に聖職についてはどうかと熱心に勧めてくれた。私は、古いニュージーランドの宣教師の家庭で暮らし、フィージーでの布教活動に派遣されていた素晴 らしい宣教師R・B・リース牧師と頻繁に交流があったことから、私の生涯を布教活動に捧げたいという思いを持っていた。リース牧師は、牧師が愛してやまな いフィージーでの布教活動に私も参加して欲しいという強い希望をよく口にしていた。そこで、ハーディング牧師の勧めに対して、特に海外での布教活動へ参加 したいと思っていることと、もし可能ならばフィージーに行きたいと考えていることを告げた。