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ケベックの海軍病院を退院するときは本当に悲しかった。私はできるなら、奥地まで行ってみようと考えた。最初に滞在したのはモントリオールだった。ここ に 到着してすぐに向かったのは、もちろん兵舎だった。船で運んだ人々に会いに行くためだ。みんながサンティポア号で共に旅をした私に再び会えたことを喜んで くれた。私は兵舎に迎え入れられ、出発できるほど回復するまでそこにいることとなった。以前とは比べものにならないほど、誰もが優しかった。割り当てられ た食事を私のためにも分けてくれ、必ずどこかに寝る場所を探してくれた。私がここにいることは明らかに規則違反だったが、夜の監視に回る士官は、いつも私 がいる場所は見ないように気を使ってくれた。ちょうどこの頃、ガバッツィの乱が発生した。ガバッツィ司祭がモントリオールでローマカソリック教に反対を唱 えていたことが原因で暴動が起こったのである。第26連隊は、暴動を鎮圧するよう指令を受け、あることがきっかけで市長から発砲命令が出された。兵士たち はマスケット銃をできるだけ高く掲げて発砲したが、不幸なことに、丘の上にいた人々に弾が当たってしまい、後味の悪い興奮が残った。