National Museum of Ethnology, Osaka, Japan
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Scan of first page of Brown's autobiography.
Scan of cover page of Brown's autobiography.

ジョージ・ブラウン自叙伝

George Brown, D.D. Pioneer-Missionary and Explorer

目次



幼少期
/ 父―有能な人格者/ 父―篤い信仰心/ 学生の頃/ 危険な仕事 / 海へ 1 / 海へ 2 / 海へ 3 / 新大陸への航海 / 第一歩 / 五大湖 / 帰国 / 危機一髪 / ニュージーランドへの航海 / オークランド / 天職を求めて / 宣教師としての適性 / ふさわしい伴侶 / 泥まみれのハネムーン / 最悪の一夜 / 悲劇の宣教師 / シドニーからサモアへ


父― 篤い信仰心 < 学 生の頃
危険な仕事


母 に関する記憶はほとんどない。母は私が5歳の時に亡くなった。母の父であるウィリアム・ディクソンはバーナードカッスルのメソジスト教会の最古参のひと りであり、有名人で、長年にわたって、組長と定住伝道師を務めた。そして、その孫たちが今も教会内で要職に就いている。祖父は、心血を注いだ伝道活動に、 娘のひとりを参加させた。ニュージーランドの故トーマス・バドル牧師の妻、バドル夫人である。
 私は1835年12月7日に生まれた。とてもおと なしい子どもだったと聞かされている。しかし、物心がついた頃の記憶には、兄のことを不恰好だと言ってからかった少年に食ってかかり、怒りでとても興奮し ていた自分の姿がある。私は幼い頃には良い子どもだったのだろう。もちろん、その事実を伝えてくれる気の良い人々を疑っているわけではない。しかし、私は 自分が分別ある少年として育ったという覚えが無いのだ。私は少人数の私立学校で、当時、小さな町では良いと考えられていた教育を受けたが、最近では、こう した教育は大いに問題視されてしかるべきだろう。年を取った校長は構文解析の新しい方法論に夢中で、私たち生徒はこれさえやっておけば他の科目については 何でも好きなことができるということにすぐ気が付いた。私は、構文解析以外は本当にほとんど何も知らない状態で卒業したが、構文解析についてもだいぶ昔に 忘れてしまった。

幼少期/ 父―有能な人格者/ 父―篤い信仰心/ 学生の頃/ 危険な仕事 / 海へ 1 / 海へ 2 / 海へ 3 / 新大陸への航海 / 第一歩 / 五大湖/ 帰国 / 危機一髪 / ニュージーランドへの航海 / オークランド / 天職を求めて / 宣教師としての適性 / ふさわしい伴侶 / 泥まみれのハネムーン / 最悪の一夜 / 悲劇の宣教師 / シドニーからサモアへ / 謝辞とリンク