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船はオークランドに上陸し、審査を受けた後、私は若 い連れとともにオネハンガを 目指した。そこに、おじのT牧師と、おばのバドル夫人が住んでいると聞いていたからだ。その道のりで起こった出来事は忘れられない。英国を出発する時、父 は私が海で覚えた喫煙という悪い習慣をやめるようにと言い渡した。そこで私は、航海中に吸わないと約束することは難しいが、もし無事にニュージーランドま でたどり着いたら努力すると答えていた。旅路の途中で、私はタバコ一式を持って降りるのを忘れたことに気が付いたので、通りの途中で購入し、歩きながら 吸った。オネハンガまであと半分くらい来たところで、私は再び一服したくなったが、突然、父との約束を思い出した。そして、パイプとタバコを垣根の向こう 側に投げ捨て、その場で禁煙を誓ったのだった。
牧師館では、優しく愛情あふれる歓迎を受けた。古い故郷から訪ねてきた、知り合いも いない私にこの素敵な夫婦が与えてくれた配慮に対しては、感謝の言葉をいくら並べても足りない。私はすぐに町で職を見つけたが、オネハンガの家はいつでも 私を待っていてくれた。休日は必ずこの家に戻り、毎週土曜から月曜にかけてここで過ごした。こうしたキリスト教徒の家庭で過ごしたことによって、私は自分 の生活に何かが足りないと感じるようになっていた。神の導きにより、この家庭は私に素晴らしい印象を与え、私を変えることになったのだ。私は教えを受けて いたわけではなく、ただキリスト教徒の生活に大きく影響されていただけなのだが、日ごとに、この世の中にはこれまで思い描いていたより崇高なものがあり、 私はこれまで、なすべきことをせずに生きてきたと感じるようになっていた。自分の人生のいい加減さと罪深さを実感し、とても後悔した。毎週、今まで耳を傾 けたことのなかった説教を聞き、その力を感じた。そのうち、私は組会に参加せずにはいられなくなった。私の最初の組長は、故J・H・フレッチャー牧師だっ た。後にニューイントン・カレッジの学長となった牧師は、当時、オークランドのウェスリー・カレッジの学長兼校長だった。この古いカレッジでは、いくつか の忘れることのできない出会いがあった。組会に参加していたのは青年がほとんどだったが、私が尊敬し、敬愛する組長ほど青年と接することに長けた人物を私 は知らない。自分の人生の晩年に、こうしてオークランドの日々を振り返ることができてとても幸せに思う。現在の教会の生活が、当時と違うように見えるのは 何故だろうかと考えることがよくある。数年前、シドニーでフレッチャー牧師が、オークランドの古いハイストリート教会で私たちが参加していた祈りの会と平 日の夜の会ほど素晴らしいものは知らないと語っていたことをよく思い出す。私をはじめとする青年たちは決して月曜の祈りの会を欠席しようと考えたことなど なく、教会の奥にあった広い教室は、いつも熱心な信者でいっぱいにあふれていた。また、平日の夜の会には、日曜集会と同じくらい多くの出席者が集まった。 R・B・リース牧師、ジョン・ホワイトリー牧師、J・H・フレッチャー牧師、アレクサンダー・リード牧師、イサック・ハーディング牧師の名前は、当時のか けがえのない大切な集会の思い出とともに、いつでも心に浮かんでくる。