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1860年9月4日火曜日、私たちは蒸気船プリンス・アルフレッド号でオークランドを出発し、嵐 をついて5日と5時間という(当時としては)短い日程でシドニーに到着した。私はリチャード・ウィリアムズの美しい回顧録を読んでいた。この偉大な宣教師 は、ティエラ・デル・フエゴに派遣されたアラン・ガーディナー大佐の不幸な伝道団に参加していたのだ。私がその本を明かり窓のところに置いたままにしてい ると、1人の男性がやってきてこの本を手に取り、ぱらぱらとページを繰り、夫婦でその本について話し始めた。男性はセルム船長といった。私がお貸ししま しょうかと声を掛けると、彼は、自分がティエラ・デル・フエゴに渡る一行を乗せたオーシャン・クィーン号の一等航海士だったことを明かした。彼は、伝道団 に関するとても興味深い話を聞かせてくれて、特にウィリアムズ博士を褒め称えていた。一行全員が餓死したこの痛ましい話を読めば、未開の地域に十分な食料 の備えもなしに向かい、食料を確保しようにも、魚を取る技術も持たず、鳥を撃つ弾丸もなかったという事実が強く心に残るだろう。セルム船長が、その本には 火薬の紛失について書かれているか、と尋ねてきたので、火薬が無かったために一行は命を落としたようなものだと答えると、彼はたいそうショックを受けた様 子だった。というのも船がサンフランシスコに到着し、船尾の棚から備品を取り出そうとしたとき、そこに火薬があるのを見て彼はひどく驚き、動揺したのだと いう。その火薬は、ティエラ・デル・フエゴで下ろすはずのものだった。リチャード・ウィリアムズの回顧録が、私が今まで読んだ中で最高の本だと常に考えて いる。そして、未開の地の人々に伝道を行った、これほど崇高で献身的な宣教師のことを、私たちメソジストがほとんど知らないことを不思議に感じている。 ウィリアムズ博士は医師で、英国で診療所を開業し高い評判を得ていた。博士は定住伝道師と組長を務め、英国国教会の教会員たちによって結成された伝道団に 参加したが、亡くなるまで、メソジスト教会の一員として熱心で献身的な活動を行った。博士の回顧録は、全ての日曜学校の図書室に置くべきだと思う。