私
の始めての仕事は、C医師の診療所の助手だった。しかし、水素ガスを発生させよ
うとして危うく建物を吹き飛ばしそうになったり、リンの火炎瓶を作って周辺の通りを大騒ぎさせたりしたことから、私には医療の専門家になる才能はないこと
が分かった。ちょうどその頃、バーナードカッスルではアジアコレラが猛威を振るっていた。私も感染し、死の淵をさまようこととなった。
故郷を離れ、私はサンダーランドの大きな薬品保税倉庫で働き始めたが、ここでも、私はこの仕事に向いていないことが判明した。その後、ハートリプールの服
地屋に弟子入りした。ここでの私の仕事は、厳密に言えば、服地業とは全く関係ないものがほとんどだった。石炭貿易のためにハートリプールに寄港した外国船
の船長たちを相手に、大きな取引を行っていたのだ。彼らは、しばしば葉巻やタバコなどの関税品を運んで来て、税関の目を盗み、しかるべき税金を英国政府に
支払わずに国内に持ち込んでいた。そして、帰るときには、私たちから購入した大量のモールスキンやプリント地を自国に密輸していたのである。英国まで運ん
できた商品の積み下ろしには人手が必要なことが多く、また私たちから購入した荷は、夜中に船員が寝静まってから船に積み込まなくてはならなかった。私の雇
い主は、私にはカウンターの後ろで働くよりもこうした仕事の方が合っていると判断したようで、手伝いが必要な時には、大体私が選ばれていた。当時の取引に
ついてこれ以上詳しく話しても私には何の得もないので、この辺りでやめておこう。